H23・政治信条

平成21年、この国の政治は新たな変化を迎えました。
55年体制より長きに渡り衆議院第一党であった自由民主党が下野、「政権交代」というスローガンとともに民主党政権が生まれたのです。
二大政党が切磋琢磨しつつ、この国の舵取りを担えば、閉塞感に覆われたこの国の未来に光が見えるのではないか。1990年より長期にわたる経済成長の停滞、”失われた20年”から抜け出せるのではないかと期待を抱いた国民も多かったのではないでしょうか。

しかし政権交代が成されたとはいえ、財政状況が一気に好転するわけでもなく、少子高齢化が止まるわけでもありません。
現実は国・地方を合わせて900兆円に届こうかという借金が積みあがり、現役世代2.5人で一人の65歳以上の高齢者を支えるという現実が横たわっているのです。
また、グローバル化した経済により、企業が国を選ぶ時代となりました。海外拠点を増やす国内企業が珍しくもなくなり「企業退出競争」が始まっていると言われています。一方、日本に投資をする国=資本流入は一向に増える気配はありません。

輸出産業によって成長、成熟しきった日本は今後ヨーロッパ諸国が迎えたような長期衰退期に入るという見解もあるようです。
日本の強みであった「技術」や「ソフト」はアジア諸国の台頭もあいまって優位性が揺らいでおり「新しい価値」を創造できるような「国力」は感じられないのが現状といえるでしょう。また、民主党政権の迷走ぶりも極まり、国民の期待は失望へと変わりました。

「国力」の源泉とはなんでしょうか。

国は地域の集合体であるといえます。地域の力の集合体が国力となるのです。
しかし長らく続いた中央集権体制の所以、限られた都市を除いては自ら立てる力があるという地域はなかなか見当たらないようです。一部の都市が稼ぎ頭となって生み出された「富」が霞ヶ関を経由し地域に分配されてきた構造は、自主自立の精神を蝕み、中央とのパイプを強調し、補助金を引っ張る利権政治を生み出しました。
加えて1990代ごろより景気回復の名の下に国債が乱発され続け、膨れ上がった債務を解消すべく打ち出された財政規律の回復は有名無実化しています。

その国債は94%が国内保有であり、それを買い支えているのは「まさか政府が債務不履行するはずがないだろう」という国民の信頼でした。経済が低迷し他に有効な投資対象がないということもありますが、「国債バブル」という状況が続いていると言われています。

しかし民間格付け会社による評価が低下したり、長期物金利が僅かながら上昇するといった変化も起こり始めました。それは政府への信頼が薄れると同時に国債バブルの破綻が迫っているシグナルだという見解もあります。
日本はGDP比で180%を超える債務を抱えていますが、そんな国は世界中何処にもありません。中国は20%、韓国40%、欧米は60~70%、高いと言われるイタリアでさえ110%、昨今話題のギリシャは120%です。1400兆円の個人資産が担保となっている、という見解もあるようですが、日本の家計貯蓄率は下がり続けており、その根拠さえも怪しくなってきています。兎も角、国家が個人資産を自由にできるはずがないかぎり、財政規律を回復させる為には様々な手段が語られています。

「ハイパーインフレによるデフォルト」という説があります。

この国債バブルが破綻すれば国民の生活はどうなるのでしょう。信用力の決壊により円の価値が暴落すれば様々な資源や食料を交易によって調達している我が国の国民生活は相当な混乱を来たすことが考えられます。一証券会社の破綻が世界金融危機を引き起こすグローバル化した経済状況では国際社会が破綻を許さず、IMFが強力な内政干渉を行うと考えたほうが現実的でしょう。
記憶に新しいのが1997年アジア通貨危機、IMF管理下に置かれた韓国です。強制的な財閥解体や、シーリングされた財政健全化による国民負担が強いられました。
しかしその危機を乗り越えて、いわばスクラップ&ビルドされた現在の韓国の勢いには目を見張るものがあります。皮肉なものです。

財政破綻を回避するには大増税、同時に歳出カットによる公共サービスの著しい低減、という手段が一番現実的だと思われますが、それは同時に国民により一層の痛みを強いる、という事です。しかしツケを先送りにしてきたこの国の体質は政権交代が起こっても改まる様子は見られないようですし、増税を掲げた内閣がことごとく敗退してきたこの国には政治的に不可能でしょう。

さて、視点を私たちの街、大村市に移してみましょう。

大村市は人口減が進む長崎県の中でも、唯一人口が微増し続けている街です。空港や高速道路があり2018年には新幹線が開業、公的施設や医療・介護の面も充実しています。地価も安く、美しい大村湾や自然の宝庫である多良山系に恵まれ風光明媚。都市としては恵まれた環境にあると評され続けてきました。
しかしながら何年たっても「素通りの街」と揶揄されるように「便利だが特色の無い街」ともいわれています。また「大村の産業は?」と問われれば「役所、病院、自衛隊」というような笑い話があり独自性の薄さを暗喩しているのではないでしょうか。歴史観光都市としての浮揚を図ってきたところではありますが、残念ながら観光に資するレベルの遺構や施設が有る訳でもなく、長崎市や佐世保市と比較すれば観光資源の脆弱さは否めません。経済的な効果が伴ってこその活性化政策であるべきだと考えますが、現段階では郷土の歴史学習や歴史編纂までに留まっているのでは無いでしょうか。
現状は大村の持つ力を活かしきれていない「宝の持ち腐れ」状態が続いてきたと言えます。
また雇用の減少(有効求人倍率0.4p)や生活保護世帯の増加(2009年10月前年比10%増)等に見られる様に市民生活は豊かさを失いつつあります。財政改革は一定の成果を挙げているのかもしれませんが、いぜん自主財源に乏しく財政力が低い。補助金や借金に依存してきた体質であり財政健全化は予断を許しません。

その原因は有権者を置き去りにした政治家同士の争いにあると考えます。「政争のまち」というレッテルに甘んじてきたことにほかなりません。
政治家は落選すればただの人です。選挙には勝たなければなりません。
しかし選挙に勝つことばかりが目的となってしまった政治に終始した結果、有権者にまちの未来を選択させる、税金の使途を選択させる、という政治本来の意義は失われて来たのではないでしょうか。

国政にこの国の未来が見出せなければ、地域の未来を自治に見出すしかない。

保険料等の地域間格差が顕在化し広がりつつある昨今、大村の未来は大村市民の力で作り上げなれければならないのです。国・県の補助金依存、借金依存型の体質から脱却し、民間の力を活かし、育て、伸ばすような都市に生まれ変わらなければならない。
この街に生まれて良かった。この街で暮らしたい、働きたい。子を育てたい。この街で年をとりたい。そう心から思えるような大村を作る為には、今こそ「政争のまち」から脱却し、新しい大村をつくりなおさなければならない。政治の転換である「おおむら維新」が必要です。

県や国の補助金頼み、借金頼みの公共事業を中心としたバラマキ開発から脱却し、行財政改革を再加速する「次世代にツケを回さない政治」が必要です。事業仕分けを行い、「未来へつながる投資」という観点で取捨選択をしなければならない。
小さく効率的な行政経営を実現しつつ、民間力を活かし、育て、伸ばすような経済政策が必要です。地域内再投資力を強化しながら循環経済の主役である中小企業振興を図り、新たな需要・市場を創出する起業家を支援しなければならない。
縮小する国内需要に囚われず、グローバル化した経済にも対峙できうる力を持った「市民力を活かす世界へ向かう経済産業交流都市」を目指すべきです。
美しく豊かな自然の恵みを享受できる環境整備を推し進め、健やかに暮らし続けることの出来る医療・介護・教育等の住環境が充実した「市民の声が活かされる住み続けたい都市づくり」が必要です。

国力が急速に萎みつつある今、地域が変わらなければ大村の未来は無い。
地域が輝かなければこの国に未来は無い。
政治が何をしてくれるのか?という事ばかりを考えていては私たちの子孫の未来は暗澹たるものになるでしょう。

私は大村の為に、この国の為に何が出来るのかを皆さんと共に考え、共に行動してゆきたいと思います。

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