第10回地域医療政策セミナー

講演Ⅰでは、社会福祉法人恩師財団・済生会神奈川県支部 支部長 正木義博氏より
「激動の時代の病院経営とは」~これからの経営マネジメントと地域連携を考える~と題した講演が行われた。
済生会は明治天皇の「済生勅語」により明治44年に設立された100年以上の歴史がある日本最大の社会福祉法人。総裁に秋篠宮殿下を頂き全国に372施設を展開しているマンモス組織である。神奈川支部では5病院19施設を管理しており、全国的な問題として、ドクター不足、建設費の高騰、診療報酬の厳しい改定、消費税アップ等々、外部環境は著しく変化しており、それに耐えうる病院改革が必要だと訴える。そしてその病院改革はチームプレイでなければ達成できない、とする。
改善=単なる行動の修正ではなく、改革=軌道修正でなければならず、それにはトップの決断が必要で、明確なビジョンを示す必要がある。その戦略マネジメントツールとしてBSC(バランスト・スコアカード)を導入し、数々の改革を実行してきた経験を拝聴した。全職員で行動計画を策定、目標数値を設定、進捗状況の報告等々非常にマニフェスト的と呼べるマネジメント手法であった。
また顧客満足を上げる手法として、クリティカルパス(入院診療計画)の充実や接遇の向上、地域貢献の実例など、オーソドックスな手法であるが、法人組織の大きさやその社風を感じさせる豊富な手法が次々に紹介された。事務方らしく様々な数値の分析を紹介され、病院は病床95%以上で埋まらせないと回らなければいけない。空いているベッドは赤字の元凶と認識すべき。ともかく病床の回転率を上げるための工夫に重点を置いているのが印象的であった。
特に医療経営に関して人材の必要性を強調されていた。経営マネジメントは事務方の責務とし、医療の分かる事務職員の育成が必要で、人的資源管理が重要な要素であり、経営企画チームを作る必要があるとのこと。事務方の仕事は医療の主役であるドクターやナース(専門職)がやらないすべての仕事、所謂縁の下の力持ち的な存在でもあり、全体をコントールするゼネラリスト的な役割もあるとされ、事務方の矜持が感じられた。演者は早稲田大学時代にラグビーに熱中したとのことで、チームプレイの必要性や有効性をラグビーに例えられていた。
質疑応答では地域のネットワーク作りのポイントについて質問があった。済生会病院で救急を全て受け入れる、という病院理念の為にベッドを回転させる必要があった。急性期を過ぎた患者を受け入れて頂くためには地域の病院との連携が必要不可欠であり、必要に迫られた部分が大きい。受け入れ先の病院に毎日往診をするなど、地道な連携の積み重ねが今日の状態を作り上げたとのことだった。
難を言えば、スライドが多すぎて語り口が単調で早口、生真面目な人柄が感じ取れる。済生会病院クラスの巨大組織を前提とした医療経営術と呼べる講演であり、組織マネジメント論としても目新しさは感じられなかった。議会人としても学ぶべきところは少なかったように感じる。
ただ、オーソドックスな手法とはいえ、様々な経営指標をきめ細やかに数値化しグループ全体で愚直に取り組んできたからこそ、巨大組織と呼べるまでに成長、発展したのではないだろうか。演者は住友金属工業出身でシンガポールや東京本社勤務の経験があり、民間のグローバル大企業の経験と感覚を大いに活かしてこられたのだろうと拝察する。「大組織病」に対峙し、弛まぬ改革を実行されてきた過程を知ることができた講演であった。

講演Ⅱでは、兵庫県立柏原病院・小児科部長兼地域医療連携部長 和久祥三氏より
「志を救われた泣き虫小児科医の一例」~地域医療再生のヒント~と題した講演が行われた。手元の資料には「講演中お手元の参考資料には目を落とさないでください。渾身のギャグを見落とされます」との注意書きが躍る。否応なしに期待が高まる。講演内容は、県立柏原病院を襲った所謂「医療崩壊」を住民運動によって解消した事例を基に、和解の心理学とされるコンフリクト(紛争、葛藤)解決について。演者は小児科医師として地域医療に携わる傍ら、自身の経験を「わくわく講演」と題し全国を行脚されており、医療崩壊を食い止めた好例としてNHK等でも放映されたとのことである。
演者が勤務する丹波市は500㎢に人口6万5千人が暮らす地域である。地域住民のコンビニ受診、救急車タクシー、研修医制度の変更や医局システムの崩壊、医師不足もあいまって医療崩壊が起こった。疲弊した医者は丹波の人を愚民だと罵りながら出て行ったという。地域医療から身を引いてゆく医者を横目で見ながら、演者自身も一度は限界を感じ、辞意を表明したとのこと。
その医療崩壊を食い止めるきっかけとなったのは丹波新聞の新聞記者だったという。医師の劣悪な労働環境や医療現場をレポート。地域住民に「気づき」をもたらす報道が複数回にわたり行われた。当時は小児科実働医0人、丹波市内でお産ができない状況にまでなっていたとのこと。その報道と合わせて母親を中心にした座談会が行われた。そこでは過酷な医療現場への理解と住民の責任について対話と理解が進んだという。
この座談会が発端となり兵庫県庁に地域医療の改善を求める署名運動が始まった。集まった署名は55,366筆。丹波市の人口は6万5千人であり、その市民の殆どが署名したことになる素晴らしい市民運動となった。しかし兵庫県も無い袖は振れない。署名が集まったからといって医者が直ぐに増えるわけではなく、状況の改善には至らなかった。しかし、この体験が母親達を本気にさせた、市民が地域医療の真の担い手となった瞬間だった、と演者はいう。そして、先ずは住民自らが変わるという運動が始まった。具体的には「柏原病院の小児科を守る会」として市民への啓蒙活動が展開された。守る会のスローガンは「・コンビニ受診を控えよう・かかりつけ医を持とう・お医者さんへ感謝の気持ちを伝えよう」である。啓蒙ステッカーの配布や電話相談。メールマガジンやパンフレット等を使いながらの活動が中心となった。
中でも「医療の不確実性」を伝える、という活動はノーベル賞級の特効薬、と表現している。お産についていえば398人に1人は死亡するという危険性があることをご存じだろうか。(※世界平均値、日本では14,286人に1人)医療は万能だと考えてしまいがちな市民が引き起こす医療訴訟も珍しくない。医師を殺人犯と呼ぶ環境が広がるような中で、若い医師が育つのだろうか。そんな市民と医療者のギャップを埋める講演会を展開する守る会は、柏原病院の小児科を守ると同時に日本の医療を守ろうとしているとの事だった。
この運動は広がりを続ける。守る会の他にも様々な団体が設立され、過酷な労働を強いられる勤務医と開業医の溝を埋める「丹波医療再生ネットワーク」の設立や地域の高齢者による「たんば医療支え隊」柏原町商店街連合会の啓蒙活動や丹波青年会議所の名も挙げられ一OBとして嬉しかった。
このケースを通して、演者はコンフリクト解決法の一つであるトランセンド法を体験したという。コンクリフトは対立であり、両者の目標が共存しない状況である。トランセンド法とは第三者が仲介し、両者の交渉や対話を通して、両者の目標を超越した結果を導き出す事とする。柏原病院のケースは「住民=安価で専門的な医療をいつでも受けたい」と「医者=過剰勤務や専門外の診療をしたくない」という対立構造が、「両損=地域医療の崩壊」という現状を「第三者=新聞記者」の介入によって、対話と理解が進み「トランセンド(超越)=地域医療を守ろう」という「両者の希望の総和+α」という結果を妥協や蛇行しつつ導き出した素晴らしいケースだと分析された。
トランセンド法の特徴としては、
・「共感・非暴力・創造」という基本姿勢を持つ
・一方的な決定は先延ばしして、各当事者と別々なところで対話する
・紛争の当事者から求める理想的な結果を各々から聞く
・ブレーンストーミングを活用し批判無しで対話を重ねる
・双方の基本的ニーズが満たされ、対話によって紛争を転換、超越した結果を導き出す
とされた。現在演者は「丹塾」を主宰しコンフリクト解決の手法を研究しているとのこと。コンフリクトは職場や家庭、学校や地域といった日常に満ち溢れており「和解の方法」を学び実践する事が人間関係や社会関係、世界平和に繋がっていくのではないか、と説かれた。講演中にちりばめられた渾身のギャグは70点というところだろうか。
質疑応答では、県立相原病院の収支状況について質問がなされた。コンビニ受診が減ったことで収益性は悪化した。収益性を伸ばすには医者の数が必要であるとし、適正な受診を抑制してしまう逆効果も生まれたとのことであった。
地域医療の崩壊というコンフリクトは「住民・行政・医療者」によって構成される。
我々議会人は「市民・行政・政治家」の生み出すコンフリクトに日常的にさらされているといっても良いのではないだろうか。市民ニーズの充足には財源や人材、法的な制約といった問題から逃れられない。我々は三者の諦めという結果ではなく「超越(トランセンド)」を目指さなければならない必要に迫られる事例も多いのではないだろうか。幸いにして大村市の地域医療は恵まれた状況にあり、医療崩壊を食い止めた事例を参考にすることはできないが、丹波市民が興した運動の核となる地域愛には尊敬の念を抱かざるをえない。それをトランセンド法によるコンフリクト解決の手法として分析し、論じる演者の知性に触れることができた有意義な講演であった。

                         文責 北村貴寿

千葉県浦安市「うらやす市民大学」については他の議員が担当します。

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