テーマ・サーベイ「経営哲学研究序説・第二章」

学生NO.16115012:北村貴寿
経営哲学研究序説 -経営学的経営哲学の構想― 小笠原英司

■第二章 経営哲学の枠組み
●第一節 学理、存在、実践
・経営哲学を体系学術として展開する。それには体系化の大まかな準備が必要。
・体系枠組み先行への批判
→経営についての大小各種諸問題を主題とするため、孤立した研究で成果を示すことは困難。
→経営存在は全体的・体系的存在。粗くても全体の輪郭を捉えることが、経営体の存在性に近接する次善の策。
・本書における経営哲学体系は山本安次郎の経営哲学論を継承し、構想。
(山本安次郎)
→経営哲学は第一に「経営学の哲学」と第二に「経営の哲学」とに分かれる。
「経営学の哲学」社会科学としての経営学の成立根拠を対象論と研究方法論として展開。
「経営の哲学」経営学の認識の根拠を問題とする-知識哲学
(山城章)
→経営実践思想としての経営哲学の必要を主張(第一章・第二節)
・経営哲学の体系を図表2-1のように三者による統一からなるものとして再構想する。

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・経営学理哲学=経営学の哲学(山本)
・経営存在哲学=経営存在の哲学(山本)
・経営実践哲学=経営哲学(山城)
以上の三部門はそれぞれが、経営哲学の領域を構成。各自独立した部門というよりは相互に密接な関係をもって成立。
三社関係の中心には「経営性の原理」が存在。

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広義の経営哲学は、経営の哲学、経営存在論、経営実践論の三部門から構成。
この広義の経営哲学から経営学理哲学を除外する狭義の経営哲学の立場からは経営存在哲学、経営実践哲学の二部門から構成される。
それぞれ独立した領域ではなく、表裏の局面と理解する。
経営学はあくまでも経営を解明するための学術的手段。経営学が経営から独立しての存立は主張しえない。

●第二節 企業、経営、事業
本書では経営体の構成要素を「企業、経営、事業」の三要素において捉える山本学説を援用。企業哲学、経営哲学、事業哲学の三領域から成立するものと構想する。
・「事業」企業と経営にとって客体要因。商品・サービスの生産と供給の諸機能・過程。マクロ視点からは活動領域としての個別産業を広義の事業概念とすることができる。
・「経営」事業の経営作用を意味し、基本的には行為概念。同時に経営者の経営能力を含意。
・「企業」日常語としての企業は株式会社のような「事業経営体」を表現するが、ここでは事業経営体の時間的、主観的かつ物的出発点である資本の結合システム。
○三者の円環的関係
・事業は経営の対象=客体・企業は経営の意思主体・経営は事業の行為主体
○人格的主体を当てはめた直線的構成
企業(出資者・融資者)→経営(経営者・管理者)→事業(作業者・生活者)
・三要素論は学会の通説として認知されているが、経営学史上では必ずしも常にこの三要素が統一されて研究されていない。総合的な現代経営学の形成においては「事業」の位置付けが不十分。
・現代経営体の歴史的発展過程
「企業」中心構造→「経営」中心構造。その過程で「事業」の性格が私的→公的に変質。
・事業、企業、経営の相互関係
昨今では「経営」のなかに「企業」の機能の重要な要素が包摂。「企業」に対する「経営」の高度な自立化が実現される中で、〔企業―事業〕が間接化、〔経営―事業〕が直接化。経営体における「経営」要因の中心性が確立された。

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・「経営」が経営体の中核要因であるから、狭義経営哲学の中心領域は「経営」哲学の諸問題によって構成。「経営」哲学を最狭義経営哲学とする。

●第三節 出資と支配、組織と管理、産業と作業

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山本の三要素説とこれまでの経営学的知見を援用し、
・企業=出資と支配
・経営=組織と管理
・事業=産業と作業、に分析。
経営哲学の問題領域を三面六領域において捉える。

一、企業―支配と出資
・資本制事業経営体の経営意思は、①出資という危険負担機能、②所有権・経営権を理念的契機として発言する戦略的支配機能として具現化。
・出資機能と支配機能が「企業」の本質=企業哲学は出資と支配の哲学。

①出資論
・出資とは何か?=企業とは何か?=「資本」主義の本質とは何か?
・出資(投資)の主体は個人から法人に移行。動機も支配的動機から利殖・防衛動機に変質。
・個人株主は「自己」資本としての株式資本の実態から遊離、会社の「自己」範疇から排除されつつある。
・問われる諸問題
○「法人資本主義」は「資本主義」の本質といかに関わるのか?
○ 現代経営体にとって、そもそも出資はいかなる位置に置かれるべきか?

②支配論
・出資者による経営支配=経営の戦略的決定権、最高政策とトップ人事決定機能として具現化。
・出資=危険負担という財産提供機能は事業経営支配の正当性根拠。
・現代株式会社の典型は「企業」から出資支配を間接化し、「経営」が支配を直接化・実質化している。
=事業経営の支配実権は資本家から経営者に移管。
・戦略的支配機能の重要問題は「企業者職能(entrepreneurship)」の問題。
企業者=「事業」と「経営」が「企業」によって統合され、出資者と事業経営者とが人格的統一をなした人間類型。伝統的にして本然的な「経営者」類型であり、真の企業者的経営者の登場が待望されている。

二、経営―組織と管理
・「経営」は「事業」を継続的に転化する意識的作用を意味する動態的概念。
・「組織」はその動態の構造要因の中心。その機能要因の中心に「管理」がある。
・組織と管理の統一として「経営」があるならば、「経営」哲学は組織と管理の哲学から構成。

①組織論
・組織について問う事は経営学の出発点を定めることになる。経営動態の源泉は共同的人間行動の統一体系たる組織にある。
・経営史、経営学史において様々な組織観が提示され、それぞれの時代の経営組織観が形成された。それらを再検討する必要がある。
・組織と人間の関わりは宿命的。組織と個人はいかなる関係を形成すべきかという問題は組織哲学の第二の根本問題であり、経営哲学の永遠の課題。
・組織は仮構か実在か。本書は組織実在論、組織主体論に立つ。組織と個人は対峙的・相互媒介的・相互内在的関係にある。

②管理論
・管理の歴史を概観すれば、組織観と同様に様々な管理思想が存在。新たな管理思想が要請されている。
・管理の哲学的根本は、経営存在の全体性とそれに関わるすべての要素的個性との同時的発展をはかる基本原理の探求
・管理哲学の再構築には、管理の認識論を超えてその存在的了解をその方法態度とすべき。管理職脳の分析論やリーダーシップの科学論は管理論としては一面的で管理の〈過去〉を見ている。
・科学的管理の進展と拡大は、反面において「経営」の狭隘化をもたらす。
・本来の管理とは経営体の〈未来〉を展望し創造する機能。

三、事業―産業と作業
・事業は「企業経営」の視点から見れば企業目的の手段であり、経営作用の対象。
・事業の手段性や対象性を一方的に強調すれば、事業本来の意義を見失う。
・事業概念の内部は産業(狭義の事業)と作業(職業)から構成。
→産業:事業の「業種」
→作業:購買・生産・販売という具体的な作業過程を構成する「職種」(職能)
・産業と作業とは目的と手段、全体と部分、上位と下位の関係にある。
・事業哲学は事業の哲学(または事業経営哲学)と作業の哲学(または作業管理哲学)とから構成。

①産業論
・企業目的と事業目的は①利潤②経営③存続と推移。
・事業目的こそ経営体を社会的存在たらしめる主観的契機。
・事業の意義と事業経営の使命を適正に自覚できるか。
→経営者理念の質と経営行動理念として共有化し確立できるか。
・事業を使命の見地から捉え、貢献目的に適う方向で事業戦略を探求。
→経営体の経営存在としての発展可能性は量的拡大ではない。

②作業論
・作業哲学ないし作業管理哲学は多岐にわたる作業職能を対象にする。
→基本(購買・生産・販売)、財務、人事、研究開発、マーケティング、会計、総務、営繕
・中心は生産とマーケティング。
○生産管理の問題
・生産合理化の原理は有効な原理であり続けるのか?歴史的役割を終えるならば代わる生産哲学は?
・生産能力の一面的進化は確実に実現されたが、労働の人間化という重要問題は多くが手付かず。
・製品の個性化が重要課題。「真の商品=購買に感動する」が見当たらなくなった。
・今日の製品開発において、専門家間の技術的差別化はあっても、素人が識別するのは困難。
○マーケティングの問題
・顧客志向への懐疑という基本問題。
顧客の欲求が出発点→ニーズ発生→顧客満足という単純線形思考は顧客尊重経営とは言い切れない。
・価格破壊の進行
科学的マーケティングが聞いて呆れる価格慣行(押し付け、上乗せ、慣行、どんぶり)を、低価格という最も単純な価格原理が突き崩そうとしている。
・適正基準、公的基準がいま改めて問われている。
○経営哲学体系への批判と反論
・経営存在の内部的論理による体系に過ぎず、経営存在と経営環境の相互関連の論理が欠如している。
・オープン・システムとしての経営体は経営環境の中に存在。経営環境の相互関連は前提であり現実。
・企業要因には政治・経済環境。経営要因には社会・文化環境。事業要因には地球・自然環境が深く関連。内部的論理のみでは成立しない。

●第四節 四種のサブ・アプローチ
経営哲学研究を研究用具(何らかの形で既に表明・関説している一定の観念・理論)の相違から四種のアプローチに区分。
①日常の哲学(生活者)→文化アプローチ
②哲学理論(哲学者)→哲学説アプローチ
③経営者哲学(経営者・管理者)→経営者哲学アプローチ
④経営理論(経営思想家)→経営学説アプローチ
・四種のツールは相互に関連しあう。

一、文化アプローチ
・「日常の哲学」とは個人および一定の集団等が自覚・無自覚を問わず持つ広義の日常生活規範等を意味。
・個人レベルでは微細に異なる観念も、一定の社会単位の中では差異を超える共通観念「文化」が認められる。
・「文化」は社会的観念であり、経営を左右する規制力が極めて強い。
・文化アプローチによる経営哲学研究は明確な形がない為、注目されるのが宗教。
・宗教は「日常の哲学」を形成している基本的な社会的要因であり、両者は密接な関係がある。
・日本的経営論における文化アプローチは相当の支持者を有する研究方法。
・経営という社会的システムは、多様な要素の複合的統一として成立。

二、哲学説アプローチ
・「哲学理論」は「日常の哲学」を理論化したもの。根源的追求が徹底的かつ論理的。また、哲学理論の難解さはある程度宿命的。
・哲学説を利用するアプローチは、哲学説研究という手段段階と経営を哲学する目的段階の二段階から構成される。
・経営哲学研究において特定哲学理論を利用する場合には、専門学たる『哲学』における良質の学説研究を利用する方便が有効。
・経営哲学研究において哲学理論を利用する方法は、哲学的アプローチにふさわしく見えるが、絶妙の学識技芸が必要で、決して安易な方法ではない。

三、経営者哲学アプローチ
・経営者哲学とは、経営者・管理者の経営に関する哲学、特に経営実践に関わる「経営哲学」を指す。
・一般用語としては「経営哲学」と言えば経営者哲学を意味する。実践現場の経営人が観念や思想を世に問う事も多く、経営者史家・作家が纏めることも多い。
・経営人の「哲学」の目的は自らの経営実践であり、理論家とは異なるが、経営哲学研究にとって形式・理論的遊戯に溺れないためにも有効かつ重要。
・経営実践における「経営理念」はどこまで哲学的に考究されたものであるか、安易に評価できない。
・経営哲学研究の素材となりうる経営者哲学は、衆目の認める一流経営者に限定される。

四、経営学説アプローチ
・経営学説アプローチは経営学的経営哲学研究にとってもっとも直接的なアプローチ
・経営学説(経営理論)は経営に関する理論的成果の全てを指すのではなく、あくまでも哲学的経営論の観点から意義の認められるものに限られる。
・経営学説の中には専門研究者によるものや経営実務家によるものがあるが、経営理論と経営者哲学の差異は必ずしも明確でない。
・長く学会で高評価を得た経営学説(スローン・松下幸之助・テイラー・ニックリッシュ・フォード・フォレット・シェーンプルーク・ドラッカー等)が「科学的」経営学の立場から、メタ理論として先駆的意義を持つに過ぎないとか、一般的過ぎて検証操作性に欠けるとして「古典」的地位に棚上げされることがある。
→そのメタ理論性こそ経営哲学研究にとって貴重な価値を持つ根拠。
・個別学説の経営学的意義は、学説の「理論」としての二面性から評価。
①「理論」を概念的枠組みとみなし、概念体系として評価する観点。
②「理論」を内容面で捉え、基本的思想において評価する観点。
・わが国の経営学研究は経営本質論の面において世界的に見て最も先進的な研究成果を持つものと評価。

・経営哲学研究は四種アプローチを研究ツールとして縦横に活用しながら、経営を哲学する研究である。

●第五節 バーナード研究と経営哲学研究
わが国におけるバーナード研究は他国の追随を許さない質量にある。本書の展開にとってバーナード理論は不可避。

一、バーナード理論の科学性
・バーナード理論は第一級の社会科学理論であり、経営科学としての意義は次の通り。
①理論的整合性
・人間論―協働システム論―組織論―管理論という理論的流れから全体構造が構成。
・経営論を管理の「理論」として展開する理論的枠組みを一挙に確立→バーナード革命
②概念的枠組みが有する可能性
・諸概念が高度に理論的。その含蓄の豊かさ、実務家の経験と思索の結晶として驚異的な構成。
・概念的発想を超える理論が今日なお出現していない(=先取性の証明)
③経営学的体系性の可能性
・協働システム=経営体の構造と機能の全体を対象とする「経営学」の理論として読む展望が拓ける。

・バーナード理論は「組織論的経営学」という特徴を持った「一般経営学」の範疇において「理論科学」的な学術体系だが、われわれは単に経営科学の理論として読むばかりでなく、山本、村田、三戸らとともに、経営哲学の理論として読む立場に立つ。

二、山本経営学とバーナード
・山本経営学の真骨頂は経営学論=経営学理哲学。経営学を経営体(経営存在)の学とし、経営体の経済、管理、組織の各研究は部分学とした。
・経営学を部分学から「本格的経営学」への学理的に転換することを主張。
・山本がバーナードに見いだした「経営学的意義」
①「協働体系論―組織論―管理論」という「三層構造理論」が山本の「本格的経営学」の概念的枠組みを一般理論化したものと理解された点。
②主体性、統一性、全体性において経営学を捉える山本の経営観からすれば経営学はそれを超えうる学理的理論を「主体性の理論」として確立する必要がある点。
③バーナード理論はアメリカ経営学流の実用・実務論とは別格の実践的理論。

三、村田経営学とバーナード
・村田経営学は山本によって提起された経営哲学の定立という経営学的課題を受け、経営存在論の哲学的研究として展開されている。
・村田『管理の哲学』の基本構想では①現代社会における管理の意味を問う②現在から未来に向かう管 理の可能性③管理の存在論的課題を追求する創造的管理の方法を探究。
→山本と同じく自身の構想を対話的研究のなかで熟成させてゆくアプローチを探る。
①20世紀を管理の世紀とし、ウェーバーの支配≒管理論の歴史的意義と限界を継承しつつ発展した社会諸科学が、バーナード理論によって根本展開を迫られる文明史が展開。
②バーナードの機会主義的側面=有効性=〈現在〉と道徳的側面=能率=〈未来〉とが対置、全体としてバランスを創造してゆく普段の主体プロセスとして管理の可能性を見る。
③「有機体論的システム論」の方法論的可能性の問題。
・バーナードの解釈学的了解の方法は、管理の問題を科学の「説明」や「技術」を超えて、「技芸(アート)」の領域において捉える道が拓かれる

四、三戸経営学とバーナード
・三戸経営学の背後には、マルクス・ウェーバー・ドラッカー・フォレットがいる。中でもバーナードが格別の位置を占める。
・三戸が経営哲学的研究の中心問題とするのは人間仮説ないし社会科学的人間論。バーナードが展開する「人間論」を三戸は「全人仮説」として評価。
・バーナード人間論は、村田―哲学的人間論、山本―経営学的人間論、三戸―社会科学的にそれぞれ捉えられた。
・バーナード「有効性と能率」に対する批判的考察
→現代産業・組織社会の人間に及ぼす現実問題を、かつては官僚制による組織阻害の問題として捉え、近年は地球環境破壊の問題まで広げ、諸問題の基本的因果構造を捉えるため、組織体の目的的行為の目的的結果と、派生する随伴的結果に対する「複眼的視座」を全社会科学が持つべきと主張。
→それの概念的基礎と複眼的視座の基本はバーナードのもの、とする。

三氏(山本、村田、三戸)はバーナード経営学説の解釈を通して普遍的な課題に迫ろうとしている。
・山本:「方法」の問題として「本格的経営学」の道を問い続け、バーナードと共に開拓をすべきと主張。
・村田:「管理とは何か」を問い、バーナードの「方法」を問題とした。
・三戸:「経営学」を問題とする前に、現代の人間問題に直面し、「問題」を明確にするためにバーナードとともに開発しつつある。
バーナード理論は三氏の経営哲学的研究により、豊かな水源をもつ哲学的学説であることが証明できる。

 

 

 

 

 

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