「日本のあしたのつくりかた・人口減少時代の自治体経営」について

日本創成会議の人口減少問題検討分科会(座長=増田寛也元総務相)が、2040年時点の全国の市区町村別人口を独自に推計したリストの発表は全国に大きな驚きをもたらした。このリストでは10年から40年までの間に若年女性が大幅に減少する896自治体を「消滅可能性都市」と位置付け、このうち40年時点で人口が1万人を切る523自治体は「消滅可能性が高い」とされている。消滅可能性都市とは子どもを産む人の大多数を占める「20〜39歳の女性人口」が2010年からの30年間で5割以上減る自治体をさしている。長崎県内の消滅可能性都市として挙げられるのは21市町の内、島原市(57.9)諫早市(50.2)平戸市(70.9)松浦市(59.7)対馬市(75.2)壱岐市(61.5)五島市(75.9)西海市(65.6)雲仙市(58.0)南島原市(63.0)東彼杵町(69.6)小値賀町(75.6)新上五島町(80.4)の13市町がリストアップされた。※()内は減少率。中でも東彼杵町、小値賀町、新上五島町は人口が1万人を切ると推計される消滅可能性が高い都市に含まれ、新上五島町においては人口減少率ワースト30位とされた。
誰しも故郷が衰退していくのは悲しいものである。生まれ育ったまちが消えてなくなるなど想像もしたくない。私は大村市議会の視察にて「破綻した自治体」としてその名が全国に知れ渡った北海道夕張市を訪れたことがある。夕張のまちを歩き朽ち果てた家屋がつらなる地域を目の当たりにした「夕張メロン」「夕張映画祭」という観光向けの華やかなキャッチフレーズとは似ても似つかない現実がそこにあった。その視察では北海道内の数か所を訪れたのだが、廃校になることを告げる垂れ幕が架かっている学校を何度も見かけた。人気のない校舎や街並みを見るたびに私は言いようのない喪失感に囚われた。そしてこれが自分の生まれ育った町だったらと考えるとそら恐ろしくなったのである。夕張の市議会議員や職員に話を伺う機会もあり、その経緯や「飛ばし」の手法を聞くにつれ、失礼ながら議会や行政もグルになってデフォルトに突き進んだとしか考えられなかった。そこには「最後には国が何とかしてくれるだろう」という甘えの体質が見え隠れする。そのような夕張市も御多分に洩れず消滅可能性が高い自治体リストに含まれている。目下財政再建団体となって国の管理下で再生に取り組んでいるが、その道は困難であることは想像に易い。私は故郷を愛する者の一人としてこの不名誉なリストから長崎の名を外したい。困難な目標かもしれないが、同じ思いを共有できる県民は少なくないのではないだろうか。
「消滅リストからの脱却」この目標を成し遂げる為にはどうすれば良いのだろうか。このリストには「人口移動が収束しない場合において」との前提が置かれているのを忘れてはならない。このリストを覆すためには現状の人口移動を収束させる。更には「人口の流入」を実現させなければならないのだ。これは人口流出に悩む長崎県が抱える命題であり、その解決に向かって様々な取り組みがなされているのは周知の通りである。自治体間競争の時代と言われて久しく「競争力=域外の住民に住んでみたいと思わせる地域の魅力」を磨きあげようとしている自治体は少なくないが、成果を上げているとは言い難いのではないだろうか。
その様な中、本書は様々な示唆を与えてくれる一冊である。著者は大庫直樹氏、マッキンゼーに入社後様々な金融機関の経営改革に携わり、大阪府・市の特別参与、金融庁参与を務める「大阪維新」を掲げた橋下徹市長のブレーンの一人だ。大阪都構想を訴える橋下改革が失速した感があるのは否めない。しかし本書には括目すべき点が多いと考える。特に本邦初の試みと胸を張る自治体の経営支援「カネの最適化」を通じて行財政改革を論じているところに注目したい。
本書では先ず“超”長期予算のシミュレーションに取り組むべきだと訴える。長期予算の見通しなどはどこの自治体も既にやっているところだが、その前提が右肩上がりのものが多い。いわゆる見通しが甘いのではないかと指摘する。中でも公債費については、昨今上昇に転じた金利トレンドを考慮すると健全のように見えるシミュレーションもかなり微妙な状況になると指摘し、財務マネジメントの重要性を強調する。更に深刻なのは施設やインフラ等の老朽化問題が追い打ちをかける。人口減少社会の到来とともに施設インフラの整理縮小廃止が必要なのは分かっているが「おらがまちの公民館」を廃止するとなると反対運動が巻き起こるのは世の常ではないだろうか。まさに総論賛成各論反対という状況の中で、限られた資源をどこに投入するべきかという取捨選択を決するのは政治の仕事であるに違いない。その過程で二重行政を廃し、行政サービスの民間移譲を進め、自治体の再編・統合を進めるべきと主張する。もはや一般論と言っても差し支えないと考えるが、それが遅遅として進まないのは郷土愛によるものなのか住民エゴによるものなのか、はたまた政治の機能不全なのかは判断できない。ただ現実に目を背けてばかりではいられないのも事実だ。心の底では皆共通の認識として抱いているのだろう。その厳しい現実を直視する為には「希望」が必要なのではないだろうか。その希望=自治体経営改革の為の処方箋として著者が考えるものについていくつか挙げてみたい。
先ずは自治体にとっての成長戦略として「企業を県外に送り出せ」とする。企業誘致という耳慣れた言葉からは意外に感じるが、その実は地元企業の広域化支援である。大阪府内の事業所数は約21万社、そのうち大阪府外に工場や営業所などを持つ企業は1.4万社しかない。ところが、その全体のわずか7%を占める企業群で、大阪府内で発生する企業所得の65%を生み出し、法人事業税の67%を納めている。大阪という国内2番目の大都市でも、地元だけに拠点を構える企業の貢献度は意外なほど低いとするデータを提示し地元企業の広域化、すなわち県外進出は空洞化につながるのではなく、むしろ納税に貢献し、雇用を生み出すことにつながるという。これは地元企業のオーナーが持つ地元への愛着=成長しても本社移転はしない、という情実を前提にしているものでもあるが一定の説得力が感じられる。中堅・中小企業がすぐに東京を目指しても、人材やネットワークを直ぐに確保できる訳ではない。少数派である東京本社の大企業を誘致するのではなく、国内事業所数90%以上を占める中間層の企業群を成長させていくという視点の転換には得心させられた。その支援内容については金融支援からの転換が必要とも指摘する。自治体の起業支援は基本的には融資の為の信用保証制度や固定資産減税、インフラ設備資金支援などが中心であるが、地元企業の広域化において不足しているのは人材や情報、取引先といったソフト分野での支援であるという。団塊の世代の大量退職時代を迎えているが、経験豊富な人材が数多くその能力を持て余しているのではないだろうか。加えて金融支援にも民間活力を取り入れるべきと説く。その手法として、いわゆる投資市場からの資金調達を目指して東証一部・二部以外の新興市場への上場化を支援してはどうかと提案している。具体的な支援の手法が明記されていないのは残念であるが、新たな可能性を試す、視野を広げるという意味では検討に値するのではないだろうか。人口減少社会の到来により経済規模が小さくなる中で、他県企業による雇用や救済を求めるだけではなく、自県企業による成長を促すという経済政策への転換をという主張からは自主自立の精神が感じられる。
著者は大阪府特別参与として行財政改革に携わる中で、行政に財務という発想がなかった事を一番の驚きとしている「財政あって財務無し」というところだろうか。ここでいう「財政」とは予算編成の事とし、歳入と歳出をどうバランスさせていくかという作業になるが、公会計では借金も歳入としてとらえるのでかなり荒っぽくなっていると指摘する。翻って民間でいう「財務」とはカネの効率的な管理の事だとする。カネにも返済期間や金利のタイプ・水準の違いがあり、きめ細かく管理していくことで資金調達のコスト削減を図り変動金利を安定化することができるという「カネに色はない」という言葉があるが、財務の世界では色を付ける。特に自治体のバランスシートは独特で資産として計上されている物の中には換金性の無いものも少なくなく、それを前提に資産側を管理し、負債側の借入金の組み合わせをする事が重要だと指摘する。現在では「自治体の資金調達金利は民間よりも低い」という神話は崩れ去っており、自治体にも金融リスクがあるとする。民間の資金調達は返済期間が1日というものもあり長くても10年。しかし自治体は10年を3回借りて返済するというのが基本で公を営企業に至っては一括30年というケースが少なくない。しかも現在の低金利を反映していないものが多く、水道事業に至っては料金の約15%が利払いにあてられるという事態が生じているとする。これはカネに色がないと思い込み、組み合わせを考えず資金調達手段(ポートフォリオ)を構築し続けた結果だと断じる。ただし全国の自治体全てが「財務無し」という訳ではないようだ。特に京都市、福岡市の平均調達金利は低く、短期と超長期の債権をうまく活用した結果、優秀なポートフォリオを実現しているという。なぜそれが実現できたのだろうか?必要なのは債権市場の金融リスクに精通した人材の配置だが、京都市や福岡市については担当者の苦心が実った幸運な形だ。そこで著者は日本の自治体に最高財務責任者(CFO)がいないことを問題視する。自治体のCFO配置は海外では一般的で、英国などは財務報告書の署名は首長ではなくCFOが行う。ただ単に資金調達を効率的に行うだけでなく、予算編成にも絡みCFOが首を縦に振らない事業は推進できない仕組みになっているとのことである。日本には東京都という例外を除けば、地方債担当者は首長と離れたポジションにあり直接モノ申すことができない。その結果どうしても予算は膨張しがちになり、将来を顧みない計画であっても抑制されにくいという。ここで頭に浮かぶのは本年4月に実施された兵庫県西宮市長選挙の結果だ。現職が新人に敗れた選挙となった訳だが、最大の争点として大型公共投資の是非が上がっていた。西宮市民はその公共投資を「ノー」とした訳である。このような市民による選択の機会は首長選挙であれば4年に一度しか回ってこない。また選挙であるから、どうしても候補者の知名度や経験、求心力に左右されがちである。まちの将来の姿は選挙によって選択の機会があるとも言えるが、その経営資源であるカネの管理手法まで選択しているとは言い難いのではないだろうか。将来の長きにわたる市民の負担設計を時々の政治家に委ねすぎることは、恣意的な予算編成を抑制できないことにもつながりかねない。恒常的に冷静な判断の元、ポートフォリオを構築するしくみが無いのは住民にとっても不幸であるといえる。なので自治体に財務マネジメントに精通したCFOを設置する事が求められるが、何も新たなポジションを追加せよと言っているのではない。大阪府の例をとれば、地方債を担当する部署は総務部の中にあり、よろず対応のごちゃまぜ組織になっていたという。これを東京都の例に習って組織変更し、財政部を設ければおのずと財務に特化した組織が生まれる。加えて担当者に公会計士の登用ができればベストだが、有資格者の不足や人件費等の制約もありスムーズに登用が進むとは考えにくい。そこで企業経営者や銀行幹部のOBといった実務経験を持つ人材を嘱託として登用するのが有効ではないだろうか。公務員畑一筋では得ることができない見識や価値観と実務経験を退職後に持て余すのは勿体ない限りだ。故郷に恩返ししたいという方も少なからずいると考えられる。自治体の経営を成功させるにはCFOを政治任用するのでなく「公募」することが首長の恣意性からも距離を置けるという点で有効だとする著者の主張に異論はない。ただし首長の権限は絶大だ。しっかりとCFOが首長にモノ申せる環境整備も必要だと考える。首長と相対する機関は議決権を持つ議会である。議員も選挙によって選出されるので、財務に関する能力の高さが当選に直接結びつくものではない。なので当選後の議員に対する財務状況の説明を定期的に行うなどして、CFOをどちらかと言えば議会よりのポジションに据えることが肝要なのではないだろうか。議会の主たる権能として予算のチェックがあるので、議会からは歓迎されるだろうし、CFOも自己の存在意義を見出す事につながるのではないだろうか。また、任期は複数年とし就任については議会承認が必要なことは勿論の事、選出時期を首長選挙と最も離れた時期に行うことも必要だろう。いわばその独立性をいかに担保するかが健全な財務運営を確立する重要な要素となると考える。
近年自治体の政策を論じる上で「アセットマネジメント」という言葉をよく耳にする。これは高度経済成長時代に整備された様々な施設やインフラが老朽化し更新時期を迎えている中で、緊急性や必要性、市民のニーズといった様々な観点から優先順位を決定し再整備を進める順序を指したものと理解して良いだろう。著者はその「アセット=自治体の資産」の中に公営企業が含まれるとし、そのマネジメントおよびリ・デザインの必要性を説いている。公営企業とは自治体自らが直営で事業収入を伴う事業、上下水道や公共交通、公設病院、市場等の事業体を言う。著者が訴えるマネジメントとは公営企業の資金調達に関するところである。公営企業の多くは前述したとおり長期の固定金利が設定されている場合が多い。金利は平時においては長期になるほど高金利になり、低利な短期の資金調達が主流となった現在のトレンドを活かしきれていないことが課題としている。公営企業の多大な利払い費用は主として利用料金に跳ね返る。料金の10%を超えるような水準が一般化しており、住民負担は少なくないとする。加えて「母屋でお粥、離れですき焼き」という発言で知られる塩爺こと塩川正十郎が指摘したように特別会計、公営企業会計の大きさを問題視している。公営企業の一つ一つが巨大であり基礎自治体(最小の行政区画)の普通会計と公営企業会計の資産比率は平均1.4倍としている。私の在住する大村市の平成26年度当初予算では普通(一般)会計375億、公営企業会計692億とキャッシュフローをみても1.8倍となっている(残念ながら同市の予算説明書にはアセットマネジメントという視点は取り入れられておらず、会計毎の資産比率は記載されていない)バブル崩壊以降、1990年代に民間企業が積極的な財務リストラに取り組んだ結果、公営企業と民間企業の間には資金調達コストにおいて1%以上の差がついている。仮に民間並みの金利に落とすことができれば日本全体の公営企業で年間7000億円の超える支払利息を削減することができると試算している。もっともこういった借り換えには繰り上げ返済が前提となるが、融資契約の多くが繰り上げ返済についてペナルティーを課しているので経済的なメリットがない。繰り上げ償還が許されるケースもあるが限定されているのが現状である。ただ、公営企業の資金調達の多くは政府によるものであって、自治体の財務基盤の強化が重要となっている昨今、そのようなペナルティーを見直すのも政治の仕事ではないだろうか。それが実現すれば、政府としては減収になるかもしれないが、利用料金の引き下げや、一般会計からの繰り入れを減らすことができるかもしれない。そうなれば国庫からの交付金も減じる事ができるだろう。何より資金がだぶついているとされる民間金融市場に自治体が直営する巨大会社=顧客がほぼ固定されており信用度が高い会社が参入すれば、格好の投資対象となり、ひいては経済の活性化につながり、雇用の拡充、繰り上げ償還による国債のデフォルトリスク低減が図られるのではないだろうかとしている。著者はこれらを公営企業債改革によるマネジメントと位置付け、自立可能な公営企業にも言及、水道事業の大半は自立可能な状態であるとしている。そこで思い出されるのが近年話題となった四国松山市の水道事業である。フランス・ヴェオリア・ウォーター社が受託したように、民間委託は全国で進んでいる。国外の企業が参入するという珍しい事例だが、企業にとっては多くの固定客を持つ水道事業の魅力が大きい事を示す事例ではないだろうか。また先日も関空・伊丹空港の事業運営権の売却(コンセッション)が発表され総額2.2兆円の規模になるという。この入札には外国企業をはじめ国内外の投資ファンドも興味を示しているとのことで、コンセッションは空港分野を皮切りに益々進むだろう。仙台空港は2016年3月から民間運営となり、愛知県では有料道路の実施に意欲を示している。
ただし、自立できる公営企業ばかりではない、という指摘もなされている。特にバス事業、病院事業については自立困難とし、全国を見渡せば水道事業も含めて「まだら模様」であるのは否めない、資金調達においては一律の仕組みはベストとは言えず、多様性を認めていくことが必要と説いている。財務的に苦しいのは人口減少に悩む地方都市であるし、その人口規模も様々。全国一律ではない資金調達のルールをどのような基準で設けるのかは出口のない議論になりかねない。公営企業債改革の恩恵の多くは地方都市が受ける事になると思うが、まだら模様の都市ごとに差がついてくるのは否めないし、丸ごと救うとなればモラルハザードともなりかねない。夕張市の姿を思い浮かべるのは私だけだろうか。
著者は自治体や公営企業の多様な資金調達の手法を論じる中で、レベニュー債化の為のダブル・フェイス債というアイディアを提案している。レベニュー債とは米国の公的団体が発行する地方債である。返済はその事業の収益で行われる。債権発行について議会承認などを必要としない代わりに、国や自治体による債務保証が無い。そのシンプルさからか米国の地方債の過半はレベニュー債だとのこと。債務不履行のリスクを伴うため金利は高めになるという。日本でも公営企業が自立して資金調達を行っていくとすると、米国のレベニュー債が参考になるはずだが、日本での導入事例は見られない。導入が進まない最大の理由は、高い金利を支払ってまで発行したくないというのが実情だという。しかし著者はレベニュー債化を進めておかないと国債のデフォルトリスクに対応できない、と警鐘を鳴らす。そして、レベニュー債の金利の高さはダブル・フェイス債を開発することによって解決できるのではないか、とする。ダブル・フェイス債とは時と場合によって二つの顔を使い分ける債権だという。なんだか胡散臭い話になってきたが、その内容は興味深い。レベニュー債をダブル・フェイス化する為に、債権発行について議会承認を課すところがキモである。そうすることによって「暗黙の政府保証」が付加されるとする。夕張市は実質公債費率か25%を超え破たんした自治体といわれるが、その実は国の管理下おかれて再建を強いられる=自治権が抑制される自治体になった訳で自治体そのものが解散したりはしない。このことから自治体に対して暗黙の政府保証があるといえるので、レベニュー債の信用度が高まると主張する。加えて、国債のデフォルトが現実化し、国が信用を失ったとしても返済原資は一義的には事業収益にあることになる。このため国債金利とは距離を置くことになるので、国の信用力頼みである従来型の公営企業債に比べて債券価格が安定するという。そして国の信用が揺らいだ後になっては暗黙の政府保証が無意味になるので単純なレベニュー債化することになる。ダブル・フェイス債はレベニュー債への橋渡し的な金融商品になる、と定義づけている。しかしそのような二面性のあるような金融商品が市場で受け入れられるのだろうか?という疑問がわいてくる。著者はリーマン・ショックを忘れたわけではあるまい。投資対象となる金融商品であるから100%安全である必要もないだろうが、ある程度の安全性を確認することは投資家を呼び寄せる上で必要だろう。このことについて著者はそれぞれの公営企業の財務的な状況を開示し、不正なく売買できる取引市場をつくる必要があるとする。米国にならって自主規制機関(MSRB)を設置し、債権を発行する自治体や公営企業などの財務情報を収集し無償で開示するしくみを確立する。同時にウェブサイトで公開するという取り組みが必要だとする。さらにその役割を担う団体として地方公共団体金融機構の名を上げる。同団体は公営企業への貸し付けを行っている団体だが、現在貸し付けの為に審査業務を行っているので、レベニュー債、ダブル・フェイス債を普及させる為の自主規制機関としては最も距離が近く、それが公営企業の信金調達をめぐる社会システムのリ・デザインの一環となるとしている。この提案が現実すれば、野心的な投資家ばかりではなく、個人投資家の呼び水にもなるのではないだろうか。ここで注目したいのは広島県と広島市が新しい広島市民球場建設の為に一般会計債として募集した地方債である。国債並みの低金利にも関わらず、募集金額20億円に対して、三倍の60億円を集めている。広島の野球ファン、というか広島市民の郷土愛が表れている事例なのは言うまでもない。市民に愛されている身近な郷土の公営企業、例えば市民ホールや歴史美術館等がその再整備等の為に債権を発行できるようになれば、寄付する事まではできないが、預金として眠らせておくよりはまちづくりに活用したい、という市民感情が湧くのではないだろうか。債権者となればその公営企業の動向が自然と気にかかるはずだ。公益を創出する公営企業への関心は債権者による監視ではなく、市民による協働へと変化する可能性を秘めている。地域のまちづくりに寄与する公営企業の運営にささやかなれど係わっているのだという意識が促されるので、配当を最大化せよという債権者が中心になるとは考えにくい。どのような事業展開が公益の最大化につながるのか?企業がどう行動すればまちの為になるのか?その為に自分ができることはなんなのか?というような、自分の利益だけを主眼に置かない利他の心や郷土愛の醸成に繋がるのではないだろうか。レベニュー債、ダブル・フェイス債の活用が個人投資家の利殖目的だけではない投資行動を生み出し、郷土愛醸成に繋がっていくことを期待したい。
著者は自身の経験から行財政改革を「カネの最適化」という視点で論じており、実効性に現実味が感じられる提案が多い。自治体をスリム化し民間力を十分に活用すべし、という主張が各章を通して一貫して論じられている。人はパンのみにて生きるにあらずだが、パンがなくては生活できない。日々の生活や自己実現の為の糧を得ることができる「仕事」が必要なのだ。自治体や公営企業の債権を開放して個人資産の流動性を刺激し、経済の活性化によっておこる雇用の確保が重要課題である。本書では様々なメリットが論じられたが、その成果が雇用の拡充につながったかどうか、という検証も必要になるだろう。
同時に長崎に住み続けたい、という地域の魅力を磨くことも重要になる。フットワークの軽い人々の存在も無視できない。幸いなことにインターネットの普及により、表層上の情報格差は狭まったと言っていいだろう。加えて交通インフラの充実と低廉化も進んでいる。長崎から東京大阪日帰りというビジネスマンも珍しくなくなった。都市部ならではの仕事をこなし、イベントやショッピング等を楽しむが、住んでいるのは故郷長崎という層は増加するだろうと考えられる。ここで注目したいのは長野県佐久市の事例だ。佐久市は素晴らしい自然環境に恵まれたまちである。しかしこの地域もご多分にもれず少子高齢化と人口減少に悩まされていた。変化が起きたのは長野新幹線佐久平駅の開業である。1997年の開業当初は1日の乗降客数が1500人だったがじわりじわりと数を伸ばし2012年現在で2700人にまで達した。東京都心まで70分という立地を生かし佐久平からの通勤、通学も珍しくなくなっているという。平成25年度からは長野県・佐久市・JR東日本の三者が協働する移住促進事業が開始され、高い評価を得ているという。健康長寿のまちづくり(ピンコロ運動)も手伝って都心からの移住者もいるというのだ。市民の声を実際に聴いたが新幹線が開通して町に活気が出てきたのは間違いないという。新幹線開通というとネガティブな情報が取りざたされがちだが、レアケースであるにせよ新幹線を活かしたまちづくりに成功している地域がある。諦めや批判ばかりではなく、新しい資源をどう活かすかを真剣に考え、協働することがまちの未来を明るくするという証左が佐久市にはある。ストロー効果を論じる前に都心部と同じ土俵で競争できる力が既に無いことを自覚すべきだ。都市と地方はそれぞれの持ち味を活かし補完しあう関係になることが望ましい。
「消滅リストからの脱却」には現在の人口移動を収束させ、人口流入を実現しなければならない。最も重要なことは「まちづくりの未来」を諦めない事ではないだろうか。今ある資源を最大限効率化し、新しい資源をどう活かすか議論し、夢を語り、希望をもって多くの市民が協働すれば、おのずと未来は開けてくると私は信じて疑わない。著者の様々な新しい提案や大阪府特別参与として実現してきた行財政改革は「不名誉なリストからの脱却」を実現する為の一助になると確信しているし、今後の著者の活躍に期待するところである。私も地方自治に携わる者の一人として本書で学んだ事を今後の活動に活かしていきたいと考えている。
文責 北村貴寿

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