在宅ケアセミナーに参加。
市内の在宅ケアに関わる方々が集うセミナー。
隔月の第三木曜日に開催。なので某会の例会とかぶるのです(スイマセン)
今日の隣席には部長、斜め前には会派長、横には県議という顔ぶれ。
本日の演題は「高齢者の終末期~どうやって生きる事を支えるか~」
重たいテーマだと思いますが、私もその分野に携わらせて頂き15年。ケアハウスなのでターミナルケア(終末ケア)はかなり限られますが、それでも利用者様の最期に向かい合う事はあります。
在宅施設でも積極的にターミナルをやる、というのは結構なハードルだと思います。
正直弊社でも対応しきれていない。
ただ「施設の気持ち一つだ」という発言にはそうだよなあ・・・と思いました。
「尊厳死=その人らしい最期」を迎える一つの分かれ目が経管栄養に踏み切るかどうか、というところがあるのではないでしょうか。
私も祖母を数年間介護しましたがALSで経管栄養、気管切開、尿道バルーン。
全身が硬直した寝たきりの状態。胃ろうからはミルク、痰の吸引、それは看護師だった母の決断でしたが、祖母が無くなって暫くしてから後悔めいた話をしていました。
そして「私には管は通してくれるな」とも。
その人、その家族、それぞれの死生観・価値観・思いがあるでしょうから、善し悪しを議論できる問題ではありません。
しかし経管栄養に踏み切るかどうか、という場面には、ドクターやケアワーカーはどのようなカンファレンスを行うのだろうか・・・と考えてしまいました。
以下資料より引用
高齢者にとって、私たちは人生最後に出会う人
”かけがえのない大切な命のケアを赤の他人に委ねる事は、この世の最大の試練の一つだと言えるかもしれない。病人は、神聖冒すべからざるものを犠牲にして、あなた方の技能や手順に身をゆだねる”
ウィリアム・オスラー
明日の会議でスタッフに呼び掛けてみようと思います。
貴方に会えて良かったと、と思われるような人になりなさい。