祈りの芯を忘れないように

このような立場に立たせて頂いてるので、様々な方々から政治論を拝聴することが多い。
中でも多いのは「政治は清濁併せ持つ」という話。

特に異論は無い。
政治も人間のやることだ。白黒灰色、色んな濁り方があるんだろう。
ただ私は、自分の為に政治をやらない、と決めているだけだ。
そして、それを他に押し付ける気もない。

誰しもが望む「平和」を維持する為にも様々な考えがある。

武器を捨て丸腰になれと言う者も居るし、更なる抑止の為に核装備をせよという者も居る。どちらも平和の為、戦争を起こさない為だ。違いが大きすぎる事だってあるのかもしれないが小異を捨てて大同に集えばよい。

私は自主防衛論者であるが、核装備はすべきでないと思っている。
核兵器のコストパフォーマンスは悪魔的な魅力だが、国際的非難、圧力といった代償を引き換えにすべきものでもあるまい。安定と平和は経済活動に直結する。

専守防衛を基調とした装備は見直す必要があると思うが安全保障の外部委託を止めれば経済的に厳しいかな、と思ったりもする。

戦争は外交の最終手段であり、政治そのものだ。近年進んでいる核軍縮への取組みも軍事コストを圧縮したい国々の思惑が一致した、という見解もある。それはそれで構わない。

菅首相は式典の中で政治を志すきっかけの一つとして、アインシュタイン博士や湯川博士が参加したパグウォッシュ会議を上げた。

私も同様に仲間達とはじめた長崎ピースラリーが政治を志すきっかけの一つでもあった。
長きに渡りピースラリーに寄せてくれた全国のバイカーの善意には今でも感謝の念を抱いている。
しかしラリーは長崎原爆というテーマに区切りをつけ、骨髄バンクドナー登録の推進へと変化した。そこにも政治があったからだ。

そして私はJCで学びを得ながら、郵政民営化や自衛隊の海外派遣といった社会をドラスティックに変える力を持つ政治というものに無関心で居られなくなった。
ただ選ぶ側に居るのではなく、選択肢を作る側、社会を変革する仕事をしたいと思った。

65年目の長崎原爆の日、今日は祈りの日だ。

核兵器の惨禍が繰り返されることがありませんように。
世界から戦争がなくなりますように。

平和への祈りの芯は純なもの。回りに様々な色が折り重なる。
政治への志も純なもの。そこに清濁が流れ込む。

それはそれで良いのだと思う。
しかし純なところは無くしたくない、流されたくないものだ。

まあ選挙は相変わらず草の根なんですけどね。
さあ今日も頑張りましょう。

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