資本主義と自由

資本主義と自由
ミルトン・フリードマン (著)

リバタリアズム(自由主義)の古典、1962年の出版ながら読まれ続ける名著。
文体にちょっと古めかしい感があるが、政治的自由、経済的自由とは何かと考える時に多様な気付きをもたらしてくれる。

巻末の解説にもあるとおり60年代に発されたとは思えず、現代の経済問題を論じているような内容だった。
帯には「世界の構造改革のバイブル」とあるように、現代でも耳にする政治課題、小さな政府、教育バウチャー、民営化や負の所得税、機会の平等等についても論じてある。
一過性の主張ではなく”長期的に成り立つ”論理であり、今なお先進国の金融政策に影響力を持つ論理だとのこと。
ただ60年代から同じ問題を繰り返しているのか、とも思ってしまった。

市場主義者(万能論者ではない)で政府(というか権力)は限りなく小さくあるべき、という自由主義に貫かれるその理論は単純明快で親しみやすい。
数値的なデータなどで論じているのではなく、思考の転換から論じられているので「なるほど!」と得心するくだりが多かった。そりゃーヘ理屈だろうと思えるものもあるのだがよくよく考えてみると・・・自分の思考の狭さが判る。

・企業の使命は利益追求、社会的責任など無い
・医師免許は医療の質を落としコスト高に繋がっている。
・社会保障・年金政策・公営住宅は不要

などと活力を失った現代の日本には受け入れ難いであろう主張も読み進むにつれ納得してしまう。

ただ全てを鵜呑みには出来ないようにも思う。
社会保障サービスから鑑みれば、市場に任せる事によりその費用は増大する。

寄らばなんとやらではないが、自由を脅かす原因は善意に内在しているからだ。
市場の法則によりメリットとコストが調整されるまでには時間がかかり、混乱や不満が渦巻くだろう。

しかし、それを是とするのも自由主義の強みかもしれないし、人を惹きつける思想なのだろう。

著者も自身の主張がいつの時代も正しいとは限らないとも言っているので一概には語れないだろう。

自由とは何か?

それは自らの自由を守る代わりに相手の自由を守るという事だ。
そして干渉と温情を排し、機会の平等を重んじる事。

発表当時は先進的過ぎて過激、と受け取られたようだ。
出版当時の大ベストセラーになりながらも、主流だったケインズ派やマスコミに黙殺されるほどであったという。

違和感のある主張もあるのだが、自由の松明を引き継がせんとするミルトン・フリードマンの魂、いわばアニマル・スピリットには学ぶべき所が多いと思い、時間を十分にとって読み返したいと思える一冊です。

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