悔いはないか?と聞かれれば「ああすれば、こうしておけば」と色々と反省することは沢山ある。
最低得票数にも届かなかったので供託金も没収、公費支給もナシ。
組織無し、シガラミ無しで戦い抜いたものの、やはり選挙には組織が必要なのだということも痛感した。
なぜ出るの?
「勝てない選挙に出る=裏がある」という穿った思考に縛られる人々はそんな質問を繰り返す。それについて改めて。
ツイッターなどで出馬をつぶやいた頃は「ひょっとしたら奇跡が起きるかも」という、甘い願望のようなものがあったのも事実だ。革命を夢見る青二才といったところか。本気で勝てるかもしれないと思っていた。
ただ時間が流れ、情勢がはっきりしてゆくにしたがって「これは勝てない」と感じたことも事実。止めたほうが良いのか、と何度も心折れそうになった。
それでも私を立ち続けさせたのは信念だと言うほか無い。
私はこのまちを変えたかった。
今のままでは、今の政治では駄目だと思っている。
バラマキ、シガラミ、政争にがんじがらめのこの街は大きな可能性を秘めているにも係わらず、変化の兆しはない。
この戦い、たとえ勝てなくとも、一石を投じる事は出来るのではないか。
その波紋が広がれば、このまちに変化が起こるのではないか。
そして今日まで、友情に支えられながら、すがりながらこの戦いを続けてきた。
結果は思ったよりも厳しかった。
負け戦だとは判っていたが、結果が出るとやはり落ち込む。
私は「これまでの政治では、二人では駄目だ」という選択肢を示したつもりだ。
私以外の二人の政策に大きな違いも無いという声も頂いたし、マニフェストへの評価は高かったようだ。
3,236人の有権者がそんな選択をした。
全体から見て多い数字とは言えないのかもしれないが本当にありがたいことだ。
私自身の存在や理念、政策を知っていただくことが出来なかったのは私の力不足。
根拠は無かったがもう少し戦えるだろうと自分を過信していたのも事実。
投票率は60.85%、前回は57.36%だったので若干上がった。喜ばしいことではある。
ただし若年層の投票率は先般の知事選と比べれば下がった。
20代 42.00%→39.49%
30代 49.85%→48.38%
40代 59.82%→59.64%
この数字が意味しているのは何なのだろう。
以下はバカバカしいと思っていたが、支持者の皆さんには知っていただきたいので二点ほど。
・私は某陣営に頼まれて出馬した。
有権者をバカにするのもいい加減にしてはどうか。政争、政局まみれの思考から脱却しない限り、この街の政治に変化は起きない。
私はこれまでの政治ではこの街は良くならない、他の二人では駄目だ、という決意と厳しい戦いを覚悟で出馬した。
そして、二人ではなく、私を選んだ有権者が3236人居たというだけの事だ。
それにそんな恥ずかしい事をする様な生き方は選ばない。
・私はカネがある、選挙は道楽。
道楽で選挙はやれない。一度やってみれば判ることだ。
実質的な経営者だが事業の借金もある。それ以外に収入があるわけでもないし、そんな事を言う皆さんが想像しているような環境ではない。
ただ、妻は自立しているし子どもがいない。そんなアドバンテージはあると思う。
だからこそこんな挑戦が出来た。だから私は恵まれていると思っている。
今回の挑戦も貯金と借金での挑戦だった。
民主主義にはコストがかかる。しかし、だからと言って、カネを掛けた選挙は止めたほうが良いと思う。
それがシガラミとなり政治を見失う。掛けない方法を模索するべきだ。
会計報告もブログでさせて頂く事になると思うが、かなりコストを絞った戦いだった。
今回の挑戦を理想主義だと一笑されるかもしれない。
しかし理想を失った政治が現実を作り出していることを忘れるべきでない。
そんなに私は丸くない。
ただし、理想や信念だけでは政治は動かせないことは痛感している。
世界に変化を起すには、理想と信念と、戦う組織が必要なのだろう。
写真の積み上がったハガキは大阪に居る妻から毎日送られてきたもの。
私が弱気になっていた頃、そんな話をしたころから届くようになった。
灯のともっていない自宅に帰る毎日、ポストを覗くのが楽しみだった。
理子、ありがとう。
私を裏から表から支えてくれた全ての人々に心から感謝いたします。
多くの人を巻き込んだにも係わらず結果を出すことが出来なかった。
本当に申し訳ないと思っています。
ただ、本当に厳しい戦いでしたが、私なりの方法でやり抜けたこと、信念を貫けたことをせめてもの救いとしたい。
今後はどうするの?と良く聞かれますが、今は白紙とさせて頂きたい。
この経験が私の人生の糧となるのは間違いがありません。
本当にありがとうございました。