1863年戊辰の役、奥州秋田唯一の官軍であった秋田佐竹藩の救援に大村藩326名が「吾往隊」として出兵。
隊の命名は渡辺昇。孟子の言葉「自反而縮 雖千萬人 吾往矣」から引用しています。私も大好きな言葉。
吾往隊の鼓手を務めたのは若干15歳の少年兵、浜田謹吾。前線で負傷し、母チカが詠んだ和歌が軍服に縫い付けられていたエピソードは胸を打ちます。
この様な犠牲によって私たちの国が築き上げられたことを後世に語り継ぐ、そして大村市と角館町(現・仙北市)の友好親善を担う会「吾往会」の総会へ出席してきました。
角館町には「戊辰会」というパートナー団体があり、3年前には浜田少年らの墓参りや、角館の武家屋敷群巡りでお世話になりました。懐かしい。
両市が姉妹都市となって37年、さらに結びつきを深めて行きたいですね。
「二葉より手くれ水くれ待つ花は 君の為にぞ咲けやこの時」