長崎県議会議員選挙が告示されました。
春の嵐の中、志を成さんと出馬された皆様、おめでとうございます。
ご武運を衷心よりお祈り申し上げます。
私も組織人として、個人として微力ながら戦いたいと思います。
さて、選挙は選択であり戦いです。
有権者の権利を立候補者の誰に付託するのかという選択であり、多数決というルールの戦いなのです。
先ずは投票に行っていただきたい。
「選挙にいっても何も変わらない」
私はそうかもしれないな、と思います。あくまで「その人にとって」ですが。
政治に興味がない。
税金の使われ方に関心がない。
私たちを縛るルールに興味がない。
そのような人にとっては選挙にいったところで、すぐさま実感できる変化が起こることはありません。
消費税が撤廃されるなんてことはありえないのです。
「変えよう」
というスローガンもよく耳にします。
しかし何をどう変えるのかよくわからない場合が多い。
多くの人々は漠然とした不平や不満を抱えているのではないでしょうか。
悩みやストレスには無縁、という方は珍しいでしょう。
そんな心理を利用し、敵を作り上げ対立を煽り、批判を並べ立てて戦う手法も目につきます。
建設的な手法とは言えません。
「選挙は政策で」という声も耳にします。
私は日本JCがエンジンとなり、2003年から我が国で始動したマニフェスト運動の黎明期から携わる者の一人。政策を競うマニフェスト型公開討論会の主催に数多く係わってきました。
そこで分かったことがあります。
「政策だけでは選べない」
有権者と政治家の情報格差は圧倒的です。
多くの有権者は、普段から政治家の弁舌に触れることは少ないでしょう。
明らかな事実誤認や実現不可能な政策でも、パフォーマンス力の高い政治家の弁舌に触れれば信じきってしまう事が多い。
報道機関が発表するアンケート等では「政策で選ぶ」が高い確率で1位回答です。
果たしてそれは正しいのでしょうか?
全ての候補者が発表する政策を比較検討して投票基準とする有権者がどれだけいるでしょう?
全立候補者の政策の質を吟味し、比較検討して選択する、なんてことができる方は行政OBぐらいでしょうか。
それに公平なはずの報道に偏りがあることも珍しくありません。
誤解を恐れずに言えば、何らかの接点を重ねた候補者の中の政策に「必要だと思う政策があった」のではないでしょうか?
政策立案を「ブレーン」に外部委託している政治家は珍しくありませんし、ネットでコピペなんぞ当たり前。耳触りのいい事を並べ立ててハナから実現する気が無いようなケースもあります。
とどめはマニフェスト運動の始祖、北川先生曰く
「選挙はエモーショナル」
と仰いますから身も蓋もありません。
私は「選挙は人間力の勝負」だと思います。
政策が不要、と言っている訳ではありません。
政策は既に選挙の標準装備。政策無しで選挙を戦うなんてことはもうありえないでしょう。
掲げた政策を実行するには、調整能力や交渉力が問われます。
いくら真っ当な主張をしようが、多数決というルールの戦いに勝たなければ意味がない。
政策や議論の質を上げていくために向学力も欠かせない。
様々なデータから仮説を立て、課題を解決する為の方策を立てる立案力や想像力も大切です。
選挙となれば仲間を動かす説得力や、有権者に訴えるパフォーマンス力も重要。
新人の掲げる政策には勘違いもありますし(私もそうでした)具体的な政策を立てるのは難しいでしょう。基本理念のようなもので良いのではないでしょうか。
私がなにより大切だと思うのは「人格」です。
政治家には「この人に任せたい」という人徳が必要とされるのではないでしょうか。
市長であれ、議員であれ、政治家は権力者です。
その権力の源泉、有権者の投票行為に真摯に対峙できる人間性。
それこそが「人間力」なのだと思います。
翻って私の人間力はどの程度なのか。
その評価を下すのは私以外の方々です。
選挙は神聖な行為だと思います。
立候補者が声高に訴える主義主張に耳を傾け、未来を託す行為。
私は選挙という洗礼に向け、己を磨き続けるのみ。
選挙、行きましょうね。