維新を興そう
このまちは素晴らしい可能性に満ちていると思う。
しかし変えなければならないものがある。
それは「政争のまち」とよばれてきた「これまでの政治」だ。
選挙は勝たなければ意味が無い。
負ければ何を言っても遠吠えでしかない。
しかしこのまちには勝つことが目的となった政治が根付いてしまった。
勝つことを目的とした政治は有権者におもねる。
活性化のためのハコモノ、
駅の新設、
儲かってるから立て替えるボート場、
海外移転も珍しくない時代に企業団地、
「あれもこれも」と大型商品が並び、このまちに政争をもたらす。
「次世代にツケを回すな」というスローガンは説得力を増しているはずだ。
国の財政はガタガタ、高齢化で増税・社会保障カットは避けられない。
失業率が高止まりして貯蓄率が下がり、生活保護世帯が過去最高という現実。
埋蔵金は幻想だし成長戦略も見定まらない。
頭では分かっているはずだ。
なのにどこか遠くで起こっている事のような気がしてしまうのだろうか?
自分達のまちの事になればビジョンだ、開発だ、と夢を見たがる。
政治がなにをしてくれるのか?を問うてしまう。
そして勝つ為の政治は理念を見失い、バラマキとシガラミに縛られる。
今必要なのは有権者におもねる政治ではない。
立ち止まろう、見直そう、我慢しよう、という耳の痛い政治だ。
だからこそ、政治家自ら身を切る姿勢を示さなければならない。
そして、次世代の為に何が出来るのかを考えなくてはならない。
明日から選挙戦。
徒手空拳の日々、心が折れそうになった事もあった。
しかしその度に皆さんに助けられ支えられながら立ち続ける事ができた。
明日を迎えられる事に感謝したい。
私は私のやり方で、信じていることを有権者に精一杯訴えていこう。
私には経験が無い。しかしシガラミもない。
地盤看板カバンは自前、自分の足と友情に支えられて立ち続けてきた。
だからこそ私にしか出来ない政治がある。
三つの選択がある。
これまでの大村。
それを支えてきた大村。
一から創り直す、新しい大村。
これまでの政治、理念無き政治から脱却し、大村を一から創り直そう。
効率的で無駄のない小さな行政。
バラマキ、シガラミを廃した、市民の声を活かす・民間の活力を伸ばす政治。
人が集まり続けるまち。
次世代に託せるまちづくりの為に、このまちに維新を。
維新の風をおこすのは私でもあり、貴方でもある。
この戦い、おおむら維新に貴方のご支援をお願いします。
やるぞ!
初日
このカテゴリーを更新するのは3年ぶり。
市長選挙期間の記録を7日間記す。
初日は秋晴れ。
出陣式を気持ちのいい天気で迎えることが出来た。
皆知った顔での短いセレモニー。
緊張していたのか、メガネを外したまま喋ってしまった。
花束を頂き華やかになった。
急遽の街宣カー乗車依頼にも対応してくれる友人がいるのは私の財産。
(というか私の我侭に仕方ねえなあ、という気持ちに甘えてばかり)
しかし正直なところ準備は後手後手だった。
皆の友情に支えられて今日を迎えたのだが、戦う為の組織の必要性を痛感する。
それを確立できなかったのは自分の甘さだ。
大勢の皆さんに見送られ自転車でスタート。
他の二人との違い、ということでのパフォーマンス。
期間中、支持者を集める集会はやらない。
とにかく浮動票目当ての露出する、目立つという事に絞った選挙戦。
自転車のせいか反応も良かったと思う。
半分以上冷やかしなんだろうが嬉しいものです。
途中ポスター掲示板の一番乗りが数箇所あって嬉しかったり。
他候補の出陣式を横目で見る。
街宣カーは複数台の数珠繋ぎ。
物量の違いをまざまざと見せ付けられた感が。
まあ同じ土俵で戦う必要も無い。
今日一番のトラブルは街宣カー。
7つ道具をもって警察署に行くのを忘れていたとのこと。
目隠しを張り直して警察に行くことになった。
準備不足、確認不足が露呈した格好だ。
なんやかんやで初日が終了。
午前中は自転車漕ぎまくり、午後から街宣カーに乗り込んで手を振りまくり。
結構体力を消耗した。
スラックスの下にはサイクリングパンツを履いているのだが、おケツが痛い(涙)
しかし初日のヤマは何とか越えれた、様な気がする。
あと6日。
二日目
雨。
自転車は危険だろうということで中止。
今日は終日街宣カーに乗車する。
昼で京都から駆けつけてくれた弟が離脱。
ちょっと寂しかったりする。
民放の取材が一本、雨の街頭や街宣カーからのアピールを収めて貰う。
びしょ濡れになって、体も冷えてしまった。
運動員の交代や取材等でチョコチョコ事務所に戻っていたので、タイミングよく嬉しい来客と会うことができた。遠方から本当にありがたい事だ。感謝。
私の選挙チームの運動員は殆どがボランティア。
なので最初はたどたどしい口調だが、1時間もすると上達してくるので面白い。
意外に経験者もいたりして楽しい街宣だ。
ケーブルテレビの工事が完了。ちょっと賑やかになった。
日が暮れると共に雨脚が強くなる。今日は早めに切り上げた。
とにかく睡眠だというアドバイスで早めに寝ることにする。
明日は天候も回復するらしい。
一日自転車を休んだお陰でお尻も回復(笑)
明日は乗れるかな。
三日目
ケーブルテレビの取材を今日だと勘違いしていた。
今日は快晴、なので自転車で出発。
そして今日はじめてプロのウグイスさんの協力を得る。
初めての経験だったのだが・・・これがスゴイ!
前回の市議選に続き、シロート集団での選挙戦を続けてきたのだが、レベルの違いが分かる。
素人なりの初々しさもあってたまに爆笑しながらの街宣活動だったのだが、ウグイスさんのお陰で一気に戦闘モード。
私ものせられて力が入ってしまう。
選挙戦とは無関係の有権者にとっては、あまり変りの無い雑音(失礼)かもしれないが、私や運動員にとっては格段にテンションが上がる。
聞けばマダマダ駆け出しなんだとか。いや~恐れ入りました。
気温が上がって来たので自転車は終了、街宣カーに乗りこみ一日助手席から風に吹かれる。
途中数箇所で街頭演説。昨日に比べて気持ちのいいこと。
顔が真っ赤になってしまった。
不在の間、事務所に変な電話が入っているという。
「○○候補の応援に○○が来たが、いくら払ってるんだ?」
・・・自分でその候補に聞けって。
また政策に関する問い合わせも。
「市役所職員の給与は下げないのか?」
・・・景気の低迷、人事院勧告の動向もあり公約としなくとも今後下がる傾向のは確実だろう。それに士気に直結する事なので、上げ下げの公約は無い。但し市民生活が豊かさを失いつつある、財政再建の掛け声の下に負担を求めてきたのも事実。なのでまずは政治家が身を切る覚悟を示す。その上で組合とも相談させて頂く。
「上がってばっかりの公共施設の利用料を下げないのか?」
・・・一旦上げたものを下げるのは財源の捻出が必要だ。事業仕分けでそこまで確保出来るかわからないので保留(というか下げるのは難しいだろう)。市民の皆さんにご負担をお願いしてきた訳だから、先ずは政治家も身を切る姿勢を表わす事でご了承頂きたい。
そんな内容で1時間ぐらい粘るという。
ウチはファックス兼用で1回線しかないので、その間は電話が不通。
勘弁して欲しい。
やはり二回線ぐらいは必要なのか。
選挙公報が入っていた。
市内全所帯に配布されているはずだ。
見やすさやでは私が一番だと自画自賛。友情に感謝。
友人から提案が。
物量・人員共に厳しい条件の中だが、何とかやってみよう。
明日で選挙戦も折り返し。
元気に自転車から頑張ろう。
四日目
選挙戦も折り返し地点。
今日がケーブルの取材、朝から打ち合わせなどをやっていたら携帯を忘れたことに気づいた。途中ではぐれたりもする。
新聞の取材も入っていたのだが、時間を勘違いしており合流できず。申し訳なかった。
なんか朝から不協和音な予感。
自転車で回っている途中、ギャップを拾って転倒しそうになった。
間一髪で体勢を立て直す。しかし手首を傷めたようだ。
事務所に戻ると
「今回の選挙には行くまいと思っていたが、選挙公報をみて貴方の事を知った。貴方を支持する」
そんな電話が入ったと言う。
その方によると、二人の政策資料などは手元に届いたが、私のものは無かったという。
選挙に殊更カネを掛けるのは良くないと思う。
しかし、政策や政見が知りたいと言う人間に届けるにはコストが掛かる。
他の両陣営は確認団体の街宣カーを回している。
2台の選挙カーを回しているようなもんだ。確認団体の車からは連呼は禁じられている筈なのだが両陣営お構いなし。
連呼ではどうにもならんだろう、と思っていた。
しかし車の流れに乗って移動する時は「名前が聞こえた」位の効果しか望めないので連呼するしかない、とのアドバイスも。
ネット選挙が開放、尚且つ世代別の情報格差が無くなれば良いんだろうが、選挙はエモーショナルなもの。それだけではないんでしょうね。
テレビやラジオが地方政治にもっと時間を割いてくれれば良いのかも。
今日は還暦過ぎの親戚に街宣カーに乗って貰う。
叔母さんの元気に負けそう(笑)
あと3日。
五日目
今日はウグイス一人がプロフェッショナル。
キラーワード(殺し文句ね)が次々と。
田園地帯に行けば
「実り多き秋、実り多き大村を北村は実現します」
稲刈り中の方に握手を求めて駆け寄れば
「息子と思って使ってください、育ててください」
団地前での街頭後では
「これまでの政治よりこれからの男!」
うーんスゴイ・・・。唸りっぱなしです。
当確伝説のウグイスなんてのもいるらしいですね。
選挙は毎日あるわけじゃありませんので、普段は店員さんだそうです。
しかし役者やなあ。
私たちが票を拾う、という言葉を使われていましたが、何となく分かる気がします。
昨日手首を傷めていたので今日は自転車お休み。
終日街宣カーに。
日焼け止めを何度も塗っていたのですが顔はクッキリ逆パンダ。
夜は人が集まってきて賑わった。
なんと五島から助っ人が。私の戦いの為に泊り込みで手伝ってくれるという。
この戦いの為に五島と大村を3往復もしてくれる。
この友情にどうやって報いれば良いのか。とにかくありがたいことだ。
嬉しい激励メールを幾つも頂く。
握手を求めれば、漬物をもらったり、飴玉をもらったり。
今日も走り回った。
いよいよあと二日。
六日目
朝6時集合、部隊前にて朝の挨拶を。
効果も疑問だったし人員に余裕も無かったのでやるつもりは無かったが、友人からの勧めと五島からの心強い助っ人も来てくれたので二人で立つ。
判りきっていたことだが、場所取りと数では完敗。
自転車を一日休んで手首の痛みも引いたので、今日は朝、夕の2回乗る。
やはり自転車乗ってる時、街ゆく反応は良い。
しかし向かい風あり、微妙な上りあり、汗だくになってホトホト疲れる。
街宣カーを引っ張っているので、交通の妨げにならない様に気も配らなければならない。
もっとトレーニングが必要だ。
妻も空港からそのまま事務所に入ってくれた。
自転車に乗っていないときは、街宣カー&街頭演説を繰り返す。
住宅街に向かって誰かが聞いている筈だと思い、青空に吼える。
「貴方の話を聞いてみたかった」
とわざわざ家から出てきて耳を傾けてくれる事も数回。
私のマニフェストの評価が高かったらしい。
本当に嬉しいことだ。
作業中のみかん畑に飛び込んでいけば「まだ甘くないけど」とみかんを頂く
農村部でも一定の認知はあるようだ(票に繋がるかは分からないが)
今日はトラブルが沢山。
街頭をやっていたら他陣営がすぐ傍で個人演説会の準備を始めたり、住宅街で吼えていれば、うるさいと苦情を言われたり。
よくよく見てみれば他陣営のポスターが掲示してある家の前だった。
他にもイロイロあった。
今日は五島からの助っ人と朝から晩まで1日中一緒だった。
彼の男気にどうやって報いれば良いのだろうか。
あと1日。
最終日
最終日ということもあり、8時~20時のフルタイムで街宣カーを回す。
初っ端から雨だったが自転車でスタート。
すぐに下着までずぶ濡れになる。
五島からの助っ人を送り届け事務所に退避。
着替えて街宣カーに乗り換え、弊社の近隣で街頭を入れる。
暫くすると雨が上がった。
土曜なので休日の友人達が集まってくれていたのを尻目に自転車に乗り換え再スタート。
自転車に乗りながら街頭をあちらこちらで繰り返す。
反応は良い。これが結果に繋がるのだろうか。
グローブが破れてしまった。
再開発の見直しを訴えているアーケードや漁協などを回り街頭を入れる。
反応は厳しいだろうと思っていたが意外に暖かかった。
夕闇になり自転車を降りる。そして街宣カーで地元を回り。
玄関先からご支援を頂く。硬い握手に涙が。
選挙にはマイク収めというセレモニーがあることを初めて知った。
ラスト5分、これまでの思いを語らせて頂きながら最後のお願い。
皆の前で涙でグズグズになってしまった。
それから小さな反省会。断酒を解く。
明日の予想や未来のまちづくりについてあれやこれや。
奇跡は起きるべくして起こる。
経験豊かなウグイスによれば反応は凄く良かったですよ、とのこと。
私は奇跡を起こす事が出来たのだろうか。
喉がつぶれてしまった。
明日全てが解る。
戦いを終えて
悔いはないか?と聞かれれば「ああすれば、こうしておけば」と色々と反省することは沢山ある。
最低得票数にも届かなかったので供託金も没収、公費支給もナシ。
組織無し、シガラミ無しで戦い抜いたものの、やはり選挙には組織が必要なのだということも痛感した。
なぜ出るの?
「勝てない選挙に出る=裏がある」という穿った思考に縛られる人々はそんな質問を繰り返す。それについて改めて。
ツイッターなどで出馬をつぶやいた頃は「ひょっとしたら奇跡が起きるかも」という、甘い願望のようなものがあったのも事実だ。革命を夢見る青二才といったところか。本気で勝てるかもしれないと思っていた。
ただ時間が流れ、情勢がはっきりしてゆくにしたがって「これは勝てない」と感じたことも事実。止めたほうが良いのか、と何度も心折れそうになった。
それでも私を立ち続けさせたのは信念だと言うほか無い。
私はこのまちを変えたかった。
今のままでは、今の政治では駄目だと思っている。
バラマキ、シガラミ、政争にがんじがらめのこの街は大きな可能性を秘めているにも係わらず、変化の兆しはない。
この戦い、たとえ勝てなくとも、一石を投じる事は出来るのではないか。
その波紋が広がれば、このまちに変化が起こるのではないか。
そして今日まで、友情に支えられながら、すがりながらこの戦いを続けてきた。
結果は思ったよりも厳しかった。
負け戦だとは判っていたが、結果が出るとやはり落ち込む。
私は「これまでの政治では、二人では駄目だ」という選択肢を示したつもりだ。
私以外の二人の政策に大きな違いも無いという声も頂いたし、マニフェストへの評価は高かったようだ。
3,236人の有権者がそんな選択をした。
全体から見て多い数字とは言えないのかもしれないが本当にありがたいことだ。
私自身の存在や理念、政策を知っていただくことが出来なかったのは私の力不足。
根拠は無かったがもう少し戦えるだろうと自分を過信していたのも事実。
投票率は60.85%、前回は57.36%だったので若干上がった。喜ばしいことではある。
ただし若年層の投票率は先般の知事選と比べれば下がった。
20代 42.00%→39.49%
30代 49.85%→48.38%
40代 59.82%→59.64%
この数字が意味しているのは何なのだろう。
以下はバカバカしいと思っていたが、支持者の皆さんには知っていただきたいので二点ほど。
・私は某陣営に頼まれて出馬した。
有権者をバカにするのもいい加減にしてはどうか。政争、政局まみれの思考から脱却しない限り、この街の政治に変化は起きない。
私はこれまでの政治ではこの街は良くならない、他の二人では駄目だ、という決意と厳しい戦いを覚悟で出馬した。
そして、二人ではなく、私を選んだ有権者が3236人居たというだけの事だ。
それにそんな恥ずかしい事をする様な生き方は選ばない。
・私はカネがある、選挙は道楽。
道楽で選挙はやれない。一度やってみれば判ることだ。
実質的な経営者だが事業の借金もある。それ以外に収入があるわけでもないし、そんな事を言う皆さんが想像しているような環境ではない。
ただ、妻は自立しているし子どもがいない。そんなアドバンテージはあると思う。
だからこそこんな挑戦が出来た。だから私は恵まれていると思っている。
今回の挑戦も貯金と借金での挑戦だった。
民主主義にはコストがかかる。しかし、だからと言って、カネを掛けた選挙は止めたほうが良いと思う。
それがシガラミとなり政治を見失う。掛けない方法を模索するべきだ。
会計報告もブログでさせて頂く事になると思うが、かなりコストを絞った戦いだった。
今回の挑戦を理想主義だと一笑されるかもしれない。
しかし理想を失った政治が現実を作り出していることを忘れるべきでない。
そんなに私は丸くない。
ただし、理想や信念だけでは政治は動かせないことは痛感している。
世界に変化を起すには、理想と信念と、戦う組織が必要なのだろう。
写真の積み上がったハガキは大阪に居る妻から毎日送られてきたもの。
私が弱気になっていた頃、そんな話をしたころから届くようになった。
灯のともっていない自宅に帰る毎日、ポストを覗くのが楽しみだった。
理子、ありがとう。
私を裏から表から支えてくれた全ての人々に心から感謝いたします。
多くの人を巻き込んだにも係わらず結果を出すことが出来なかった。
本当に申し訳ないと思っています。
ただ、本当に厳しい戦いでしたが、私なりの方法でやり抜けたこと、信念を貫けたことをせめてもの救いとしたい。
今後はどうするの?と良く聞かれますが、今は白紙とさせて頂きたい。
この経験が私の人生の糧となるのは間違いがありません。
本当にありがとうございました。