「東京裁判」を読む

「東京裁判」を読む

半藤 一利, 保阪 正康, 井上 亮

「自虐史観」なる言葉を聞いた事がある方は多いのではなかろうか。
戦後の主流となっていたとされる歴史観(いわゆる日本は悪玉だった)を否定する言葉。

その論法からは真珠湾攻撃「だまし討ち」は貶められたもので、東京裁判は勝者による復讐の劇場であった。現憲法はGHQに押しつけられたもの・・・と皆さん馴染み?の主張が聞こえてきます。

その自虐史観と同義語として「東京裁判(極東国際軍事裁判)史観」という言葉があります。前述しましたが「歴史は勝者の手で書かれる、東京裁判は不当で無効である」という主張がメインかと。

その東京裁判の判決書や弁護側の資料は国立公文書館に保存されています。

裁判長が判決文を読み上げるだけで7日間もかかったという膨大な資料。
その他にも検察側、弁護側の資料を合わせれば著者いわく「資料の海に溺れる」という量。

現在もその研究がすすめられているところですが、近年新たに発見された東條英機の手記などを含めて3名の著者が「勉強会」定期的に開催しながら読み込み、東京裁判について論じてあります。

日本経済新聞の連載が元になっていますが、解説や鼎談が挿入されていますので、新たな読み応えがあるのでは。

「だまし討ち」が既に東京裁判で否定されていたり、パール判事の日本無罪論が拡大解釈されていたり、東条英機のあきれ返るような手記が発見されていたり、裁判が復讐の劇場にしては理知的に進められていたり・・・

私も新たな学びを多数得ました。

予備知識がある、と言う前提で進んでいくので入門書とはいえません。
判決文も遂次引用されているので読み難いかも。

しかし近現代史を声高に語るのであれば最新の戦後史歴史研究書(2012年8月初版)として押さえる必要がある一冊だと思います。

資料の海を充実した勉強会で泳ぎ切った著者はこれまでの東京裁判論争は「読まざる論争」だったと看破。

私も再び精読する時がくるかもしれません。

以下引用。

東京裁判は勝者によるトリックかもしれない。だが、「勝者の裁き」を言い立てる事で、裁判と抱き合わせるように自己に不都合で不愉快な史実までも葬ろうというのは敗者の側のトリックである。

東京裁判は勝者が歴史を刻む舞台装置でもあった。敗者の側にそれを否定したい感情が湧きあがるのも無理はない。しかし、裁判で示された「史実」を勝者の史観として全否定しても、敗者の泣きごとと言われるだけだろう。裁判を丁寧に分析し、事実の裏付けがあるもの、そうでないものとをしっかりと仕分けしていくことこそ、勝者の史観の歪みを正す最善の道だと思う。

「戦後レジームの脱却」を掲げていた安部首相の再登板によって右傾化の兆候が取りざたされる昨今です。

今のところ政府は現実的な対応を取っている事を歓迎。
ただ、7月の参院選後にはどのような態度に出てくるのか一抹の不安が。

私は資本主義と自由がベースにあるコミニュタリアンであり、権利と義務の調和する経済的繁栄が社会の幸福に結する、という信条を持つ一人です。
(以前はリバタリアンでしたが、そうではない事に気づきました)

国益を毀損する様な安易は譲歩はすべきでないが、歴史に捉われすぎて未来を見失ってはいけない。
村山談話、河野談話の見直しは良いことだと思いますが、外に向かって振りかざす愚は避けて欲しい。

現実的な手法で外交の回復を望むところです。

北村タカトシ公式SNS

SNSでも日々の活動をお伝えします

後援会入会のお願い

皆様の支えが必要です

北村タカトシ公式SNS

SNSでも日々の活動をお伝えします

後援会入会のお願い

皆様の支えが必要です