憂国くん

私たちが生まれ、育ち、死に場所に選ぶであろう「日本国」

「国」という意識が外交的に確立したのは明治維新以降だといわれここ140年ぐらいの話。
それからこの国には民主主義の足音が聞こえてきた。

民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。
実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。
これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。

              
とはウィンストン・チャーチルの言葉
ようは「民主主義は最悪だけど一番マシなやりかただ」ということ

衆愚政治になるかもしれない。けれどその結果の責任は有権者にあるというシステムだからというところだろうと思う。
我々の代表たちを選び、我々が生産する成果を預け、我々の住む国のシステムをつくる。
その代表を選ぶ機会が再び迫っている。

近代では政治や官僚があれこれ手をかけなかった自動車産業がこの国の経済成長を牽引したのは皮肉かつ幸運だった。
外貨を勝ち取り、それを担保として身の丈以上の成長を成し遂げた。
国土の均衡ある発展というスローガンの下、政治家の役割は霞ヶ関に集まったカネを地元に引き込む事だった。かくして途方も無い額の負債が積みあがる。
保有資産が帳簿価格で売却できる見込みは薄い。朝鮮戦争特需は戦後の日本を立ち直らせたが、今の日本を救う神風は吹きそうも無い。
ダイエットはどうやら成功する前にリバウンドがはじまりそうだ。
デフレは続くし自動車関連の倒産は5割増し。考え抜いて変身できない企業には斜陽が射すことだろう。

とかく失政を論いがちだが、そんな現状を作り出したのは有権者である。
それが民主主義が生み出した結果だ。

「太いパイプ」を提供する政治家を生み出したのも有権者だ。
お願い型の選挙に身を委ね、先のことまではあんまり気が回らなかったようだ。
だれかが何とかしてくれるだろう、と思っていたというところだろう。
そして苦しくなったら自分以外の誰かに責任を転嫁すればよい。
民主主義が最悪たる所以だろう。
しかし圧政や専制を選ぶまで先祖がえりする筈も無い。

そしてこの国の新たな責任世代は投票に行かない。
自分の一票で何かが変わるとは思えず合理的無知となる。テレビ政治を見ているとバカバカしくなってくるのは私も同じだ。
だからせめて政治に翻弄されまいと自己防衛に走るのは当然だろう。車を買わない、旅行に行かない、高級ブランドには興味が無い。
そして既得権益世代の中で迫った寿命に目を背けず次世代に残したい国づくりを考えているのはどれくらいの割合なのだろうか。

満遍なくバラ撒いていた補助金と公共工事をストップし、教員免許を廃止して教育を再生し秀逸な研究者を育て、世界市場に打ち勝つ技術立国になるのが復建の近道だと思うがどうだろう。バランスを欠いているだろうか。
もしくは市場に背を向け食料と文化を糧とした鎖国にしてしまうかだ。文化や国土が美しさをとりもどせば観光外貨が増えるかもしれない。後者のほうが混乱を招きそうだ、優秀なマネージャーはお国替えをするかもしれない。

現実を見ればどんな政治が行なわれても経済的には苦しい時期が続くだろう。
選択枝も豊富とは言えないと思う。
しかしそんななかでも我々は未来を選択しなければならない。

私を覆う政治には諦めの感が強い。
しかもそこから逃げることは今より簡単かもしれない。
麦藁帽をかぶって草を苅るのは気持ちがいい。
単車に向かいスパナを振るうのも無心になれる。
畑仕事をやってみたいなと思ったりもする。

しかし、

くだらねえと思うなら自分で変えてみろ、と
背を向ける前に戦ってみろ、とも言う私がいるのも事実だ。
それの源泉は自らで涵養した愛国心だとも思う。
私の中には憂国くんが居るんだろう。

明日は長崎で命を掛けてくるであろう4人の国士を迎える。
踏み込んだ方々に礼を失してはならない。

身を清め、真摯に、真剣に

切り結ぶのみ。

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