空気の研究

「KY=空気読めない」

少し前にこんな言葉が流行ったが、私もよくKYだと言われる(特に妻から)。
その空気とはいったい何なのだろうと思っていた。
その問題を正面に考え解を見出そうとした訳ではないが、どこか頭の隅にあったが「ポピュリズムみたいなもんだろう」と片付けていたし、空気は読むものではなく作るものだ、なんて嘯いていた。

で、先日読んだ勝間本にて気になるタイトルがあったので買い求める。
著者・山本七平。

この論文が発表されたのは1977年と古く、語感も古めかしいので読みにくい部類に入ると思う。
何より超論理的(論文だからあたりまえか)。文量はそう多くないのだがフィーリングで飛ばし読み、なんて本ではない。
なかなか頁は進まず一時中止もしてしまったが、なんとか読破するも良く頭に入っていない部分が多い。

ただ収穫も多かった。

空気とは非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ「判断の基準」でありそれに抵抗する者を異端として社会的に葬る力を持つ、と定義される。

その発生は大東亜戦争末期に顕著となったようだ。
終戦間際の戦艦大和の出撃は戦術的・論理的に無謀極まり無いものであり自殺行為であるにも関わらず、それを止めよという者はおらず、当時の空気では当然だったとも記されている。

また戦後の経済成長に伴う公害問題や共産党の革命思想と戦時弾圧、キリスト教義にいたるまで兎に角幅広い考察から、空気の醸成がどうなされたかが分析してある。その過程は黙示録的文学というのも面白かったし頷ける。
思考整理的な部分は小難しいのだが、比喩的な記述はとても分りやすくハッとさせられる(特に来魔のくだりは笑える)

そしてその空気をかき消してしまう力をもった「水=通常性」にも論じてあり、その「水をさす=ky?」が益々空気の支配を強固にしてしまう様にも興味深い。

結びはその「空気」を本当に把握し得たとき、その拘束から脱することができて、研究の新しい一歩が踏み出せる。
人間の進歩は常に遅々たる一歩の積み重ねであるとされている。

私の知識・思考の幅を完全に超えてしまっているので読みにくいという感想を持ったのかもしれない。

愚考ながら、この空気の醸成にはメディアが大きな要素となるが、ネットの普及で空気の支配力が更に強まるが消える速度も速くなるのではないかと思った。

最後に解説があり著者の半生を紐解いてある。
この恐ろしく広い思考の幅にも頷ずいてしまう。

昭和以前の人々には「その場の空気に左右される」ことを恥と考えていたそうですよ。

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