小異を残して大同に集おう

先日の授賞式 の後、田上市長による基調講演と「私の平和活動の原点」と称したシンポジウムが開催された。私もそのまま残り拝聴する。
田上市長の講演は「長崎の多様性と寛容」をキーワードにした理解できる内容のものだった。
しかし田上市長はあいからず政治家っぽく無い(^^;)批判じゃないよ。

違和感を感じたのはその後のシンポジウム。
あるパネリストの発言や考えについてだった。

氏は長崎原爆をテーマにした漫画を発表した作家で長崎大学の非常勤講師も勤めているという。
あくまでも主観によるが、かなり濃い赤色思想をお持ちのようだった。
氏は仲間を「同志」と呼び合い、派遣村問題は格差社会を解消しようとする労働生存権が高揚している表れで、デモ行進等が加速すれば世界は平和になるらしい。

もうバカバカしくて席を立とうかと思ったが、他のパネリストの話を聞きたかったので我慢して座っていた。

ちなみ私は派遣の規制を強化すれば失業率は上がる、雇用の流動性確保と世代間の格差の解消が有効手段だという主張を支持している。

また高校生署名運動を経験した若いパネリストだけは期待が持てた。
署名運動をしていると賞賛の言葉と同時に市井の人々から批判を受けるらしい。
高校生が街頭で大人たちから罵られることもあるそうだ。
色んな考えやプロセスがあるけれど、核兵器廃絶を訴えるのが私達の考えだと、力づよい発言だった。
ぜひ狭い思考に陥ることなく、多面的な思考を手に入れてもらいたいものだ。

話を戻す。

このエントリーのタイトル「小異を残して大同に集おう」

これは協会設立の理念だと言う。

設立前までは平和運動と言うといわゆるプロ的なものが多くともすれば閉鎖的だったそうだ。
しかし「平和を愛する」という想いは皆共通しているはずだ。
だから思想の違いはそのままに、政治色を出さず大同に集おうという趣旨だったという。

ならば先のパネリストの発言はどうか?
数年前言論の自由を貶めると騒がれた語り部による政治的発言はどうか?

これはピースラリーの区切りの原因の一つでもある。
講話中に当時の政権批判が出たこともある。

平和運動は下火になっているのは否めないだろう。
加えて被爆者の高齢化は進み被爆体験継承の問題もある。

運動を強力に推進する人間の声が強くなるのは必然なのかもしれない。
しかし私のように違和感を感じる思想の持ち主はますます距離を置くだろう。

そして、そんな運動を主体性を持たない無垢な若い学生達に触れさせるべきではない。
オーバーな話だと思うかもしれないがマインドコントロールされてしまう恐れがある。

平和推進協会は自らの首を絞めてはいないか。

オバマ大統領の発言や米露の核軍縮に向けた協議が始まっている良い環境が整ってきた。
そんな中で協会より政治色を発することは、マイナスではないか。
あくまでも大同に集うべきであり、異を表に出すべきではない。

協会は創立の理念に戻るべきだ。

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