北方領土訪問雑記(長文注意)

21日 出航、国後島へ

根室港を出向
四島に帰るロシア人達も同乗している
日本で勉強などをしている専門職の人々とか

船内で注意事項などのミーティング
若い順?から安全委員なるものに選任され、避難路などの説明を受ける
安全に対する認識はかなりイージーな感じ

部屋はかなりの狭さ、二段ベッドで寝ることに
身動きが取れないサイズのベッドは高卒で上京し働いたときのタコ部屋のベッドより狭い

船齢28年、古いつくりの船らしく、内部は迷路のよう、数年後に退役、新造船が後を引き継ぐらしい

出航して2時間、私の携帯は圏外になったがドコモの最新型は通話が出来る、しかし国際電話扱い
船内では免税ビールで150円
四島は国内のはずですが・・・

最初の食事はスープ付きシーフードカレー
食堂も狭く、62名が2回に分けて呼び出される

数時間で国後島沖に到着
ロシアの船が近づいてきて入域手続きを済ませる
役人は半分女性だった

根室から同乗していたロシア人が国後島に帰るらしく、
たくさんのお土産や電化製品とともにお別れ
船から見たところだが結構な規模の集落が見て取れる
「ムネオハウス」があるそうで、地熱発電所も設置されているらしい
上陸してみたかったな

スムーズに手続きも終り色丹島へ向かう

揺れてるな、と感じるが船員曰く「今日は沼みたいなもの」だとのこと
夕暮れ時に色丹島に到着、湾内はベタ凪で助かった

到着後程なく船内で夕食、揚げ物定食だった
それから同室メンバーで根室市長の差し入れを頂きながら、地域色華やかな話題の酒宴
途中から富山県は黒部市長が参加される
黒部市は根室市と姉妹都市で返還運動も盛んな土地だとの事
なんでも四島の強制退去時の引揚者が多数流入し、今では二世三世がいる、という事でした

明日は4時起床で色丹島に上陸だ
活字の力も借りながら眠ることにする

22日 色丹島に上陸

とにかく経験したこと無い自然の美しさ
ノルウェーのフィヨルドを想像して欲しい
そこらじゅうでナルニア国のロケが出来る、といった感じです

しかし岸が近づくにつれ、かなりの数の沈船が目に付く
上陸前は分からなかったが魚の姿はない
ロシアの衛生観念は低いようで、なんでも垂れ流しな印象を受ける

そして岸壁の水産工場の見学、秋刀魚の冷凍工場、ヨーロッパに輸出しているという
日本で水揚げというと、漁船から巨大な網で掬い上げる光景が目に浮かぶが、こちらは大きなパイプで吸い上げて加工工場に直送する
せり市などが無いからだろうか、魚は痛みそうだが合理的だ

団員の職業に「会社役員」との表記がある方が数名

話してみれば歴代ブロック会長や直前会長、歴代理事長も
長崎県民会議の話、事務局移転うんぬんの話をしましたが、絶対に受けるな、というアドバイス
実質世論が先細りする中で、特定の団体事務局を持つことは、全県的な運動になりにくい
県庁の広報室等が持つなら話は別、なんてお話を頂きました

文化会館にて受け入れのセレモニー

入り口に民族衣装を着た女性からパンと塩でもてなされる。ロシアの伝統的な礼節だという
お互いのプレゼント交換、村長の挨拶で地震被害の際に受けた日本の人道支援に感謝を意を
現在はロシアの開発計画が進んでいるらしく、2、3年たつとこの土地も美しくなる、という
話の通り港には大きな沈船があったし、舗装道路は皆無、廃墟、廃車がそこかしこに放置されていた

日本の人道支援は学校や、発電所、診療所等々
順次見学する、そして最近ロシアの手で建設された学校も見学
立派でなんとなくかわいさを感じるつくりだった
背景もあいまってアルプスの少女ハイジの世界だ

学校で簡単なロシア語講座
ロシアでは「赤=美しい」という認識なんだとか
なるほどねえ

それから対話集会

聞けば突然の設定だとか(本来は明後日オフィシャルな集会があるらしい)
なんでも率直な話をということだったので、数名の団員が教育方法や、地元の給料、不登校の問題と一般的な話題など

無難な話題で温和な交流ムードでしたが、私は

「2006年の日本漁船拿捕と射殺をどう考えているか」

と聞いてみました
空気が冷たくなったのは気のせいか

村長がそれには私が答えなければ行けない、と回答を

「国籍に関わらず死は悲劇、それも家族を養うために漁をしていた方が命を落とされる、ということは本当に悲しいことだ

射撃した彼は与えられた権限で任務を遂行したと考えている、しかし船の揺れ等、不可抗力の部分があったと思う

そしてその軍人はそれを苦に悩み、軍籍を自ら除した
私たちもとても心を痛めています」

私は

「自ら除隊した話は初耳だった、この事件で、同じように悲しみ、悩みを共有できるロシアの皆さんに感謝したい」

と答えた

その後、私以外の団員同士が少々紛糾、
言葉の使い方一つだったが見苦しい一幕だった
ロシアの人々にはどう写ったのだろう

領土返還運動を推進する団体が行う交流は、楽しく仲良くなればよい、というものでは無いと思う
ましてや物見遊山だけなら止めたほうが良い

楽しみも喜びも問題も悲しみも共有する

そして問題が解決は出来なくとも、両国の問題に目を背けない

そんな姿勢を持ち続けることが真の交流になるのではないか、と思うしだい

それから昼食を取り、道なき道を数時間、日本人墓地に線香をたむけ、教会に訪れる
軍用車が朽ち果てているその眼下の入り江にはロシアの警備隊が駐留していた
途中教会にもお邪魔する

墓地はもう一箇所あり、また山道を1時間弱
また線香をたむけた後はそのそばの美しい海岸を散策した

本当に美しい土地だ

港に戻って交流会
ロシアのダンスや歌、日本側は阿波踊りを披露、私も一緒に踊って楽しい交流でした

船に戻って同室の団員で交流会
快適とはいいがたい環境だが、就学旅行みたいで楽しいし話は尽きない

今夜は択捉島に航行しながら眠る
途中難所もあるとのことで揺れが心配だ

23日 択捉島上陸

択捉島の港は拡張工事がされているらしく岸壁にそのまま着岸するか、はしけ船を使うかで揉めていたようで少々遅れる
結局はしけ船を使うことになった

岬の先端に砲台みたいなものが見える

かなりの大きさの水産工場、ギドロストロイ社が併設された大きな港だった
この港には2006年に拿捕され射殺された漁師が乗っていた漁船があるという

何度も上陸しているらしく、手続きはスムーズ
かなり大きなトラックをバスに改造した車両で移動
助手席に乗ることになった

まずは地区幹部への表敬

四島のトップに出迎えを頂く
日本が行った地震震災時の人道支援、領土問題も認識されており、ジョークも入るスマートな挨拶だった
今後はロシアのクリル地区開発計画で2,3年で見違えるようになるだろう、とここでも
ますます返還が遠のくな、と思ったのは私だけではなかったようです
ここでも両国の民芸品のプレゼント交換

それから残された日本家屋を見学

元郵便局、水産事務所が残っているという
郵便局は屋根が無くボロボロだった

2年前に上陸した団員の話によると「前回は保全すると言っていたのに取り壊している」と憤慨していた
古い建物なので自然に壊れたのでは?と思っていたが、2年前の写真にはそのまま使えそうな色鮮やかな建物が写っていた
水産事務所は手を加えられていないようだ

時間が無くなり、郷土資料館は足早に見学をすませ日本人墓地へ

ロシア人には環境に対する配慮はないようで、墓地にもそこらじゅうにゴミが散乱
あちこちに廃車や廃屋がそのまま放置されている
この墓地はロシア人も埋葬されており急斜面に墓が点在していた

こちらは土葬とのことで、盛られたばかりの土がなまなましかった
そしてロシア人には墓場を綺麗にするという習慣は無いらしい
日本人の名が彫られた墓石が割れたり倒れたりしていた

それから指臼山と言われる展望ポイントへ

かなりの距離をバスでかっ飛ばす
この島にも舗装路は皆無
四駆と大型トラックが手付かずの原野を切り開いた未舗装路を疾走するさまは、さながら映画のようだった
展望ポイントに到着、原野、大平原、湖、人間の手の入らない自然は本当に美しい

そのまま地熱発電を行っている噴気孔へ
私が地主で資金力があれば大観光地に仕立て上げたいところだ
大きな鉄タンクを利用した完全かけ流し天然温泉が

うずうずしてしょうがありませんでしたがここで裸族は長崎の恥かと思い自重いたしました

それから別ルートで街へ戻る
途中高台で車を止めてくれた
その景色の美しさははもう筆舌尽くしがたし、ドラゴンが飛んできそうな世界でした

町へ戻ってホームビジット

私が訪問したのは36歳の若い夫婦宅
ご主人はモスクワから、奥様はこの島で生まれ育ったという
そして日本にも三回訪れたことがあり、素晴らしい国だと言う話を

家の外見にはこだわらないようだが、内部は新型の豪華な電化製品がズラリ、サムソン強し
オートバイが趣味とのことで、スクータータイプだが4台も所有
犬が二匹で見事な家庭菜園が、私も自分のオートバイと犬の写真を見せる
なんでも最近1匹なくなったようで私も同じだったことを伝えると連帯感が生まれたような

本当に心より歓待されと感じることができた楽しいひと時だった
ここでは領土問題の話は出来なかったが通訳が巡回してきたときだった
この島からはビザが降りないので直接日本にいけないのが不便だとこぼしていた

心がとても温かくなったが、下世話な私は日本からかなりの費用が出ているのでは、と勘ぐる
領土問題がある両国間で、これだけのもてなしはしないだろうと思ったからだ

事務局に確認するも、交通関係のチャーター代、レストラン等を利用した食事代以外は出していない、ということだった
ロシア当局が補助しているのかは知る由もないが、ボランティアだと思いますとのこと

後日金額を確かめたが、ロシア側に支払う金額はコミコミ100万円強だとのこと
4日間の食事や交通の手配を全て任せて団員一人当たり2万円以下となる
物価は離島ということもあってか日本とあまり変わらない
500ミリの缶ビールが55ルーブル=275円で必要経費にも足らないだろう

ロシア人のホスピタリティを感じてほしい、と色丹島で聞いたのは真実だと確信する

人道支援への感謝、今後の交流への期待、などもあるのだろうが、少なくとも私にはビジネスライクな印象は受けなかった
通訳の方の話だったが、ロシア人はお客が大好き、もてなす料理が足りなくなることほど失礼になる文化という
そして途中で何度も乾杯をするのも特色のひとつ

「ザ フストレーチュゥ(出会いに!)」
「ザ ミール!(平和に!)」
「ザ ドゥルーシブゥ!(友情に!)」

色々な掛け声とスピーチが繰り返される
ロシア人のホスピタリティに乾杯だ

それから商店街(といっても小さな商店がまばらに数箇所あるのみ)で買い物をし、有萌という海岸へ

マスの遡上を生まれて初めて目た、川じゅうがマスで埋め尽くされていた
幸運この上ない

それから港へ

途中助手席の腕の太いロシア人運転手が無言でペットボトルのコーラを差し出してくれた
栓が開いていて飲みかけの室温のコーラ

「スパシーバ、オーチン、フクースナ」(ありがとう・おいしい)

どうやら通じているような笑顔だった

拿捕された日本の漁船が数隻陸揚げされた港から船に戻る
一昨年に船員が射殺された漁船は民間に売り払われ、この港に停泊しているという

夕食時に島民関係者の少々話し込む
現在のやり方では返還はかなり難しいだろうと一致

団員には多種多様な面子が揃っている

教師から官僚、公務員から政治家、ビジネスマン
教育論から領土問題まで酒とともに話が弾み揺れる船の夜は更けていく
日本の教育は結構明るいと思います

明日も択捉島に再上陸、各地見学の後はフォーマルな対話集会

24日 択捉島に再上陸

ギドロストロイ社という水産工場がこの島の産業(唯一か?)
その厚生施設だろうか体育館に到着、かなりの機器がそろったフィットネスルームと屋内のテニスコートが
今日は日本側が仕切って行う交流イベント

四島は火山島でもあり地震・津波が脅威
と言う事で和歌山県民会議が持参した地震津波災害時の心構えビデオの上映(ロシア語の字幕つき)
それから子どもたちとゲーム、楽しい時間だった

交流会の後は昼食、蕎麦の実がライスの代わりのワンプレート
四島のポピュラーな料理だそうですが、今回ばかりは結構きつかった

それから建設中の空港へ移動、3年後には運用開始とか
とにかく開発が進んでいる
2千メートル級の滑走路だとか

それからオーヨ湾の展望台へ
朽ち果てた戦車の砲身は海を向いていた
湾内に侵入してくる敵に向かい銃撃するためのトーチカ跡はゴミ箱になっていた

そして水産工場に向かう
アルメニア人の職員で作り上げたというエントランスの庭園は見事なものだった
しかし庭に隣接した工場の裏の法面はありえない角度
一部崩れていたし、大きな地震が来れば大変だろうなと思う

工場の屋根には「クリル諸島はロシアのもの」と言う挑発的なスローガンがデカデカと掲げられている
内部見学を追えし、会議室で対話集会へ

席は限りがあったが、最後に若手代表だということでテーブルに着座を促される
ロシア側の面子は地区議員、工場社員、校長先生等々

対話集会の内容は、震災やエコロジーなどの無難な?話題から始まった

領土問題に関係の無い話なので割愛するが、一つだけ

ソ連時代は勉強したいと思えば誰でも大学に入れた、今は厳しい競争があり、お金が必要になったという

誰かが
「ソ連時代は金には困らなかったが物がなかった
ペレストロイカの後は物はあるが金に困るようになった」
と言っていた

とんでもない格差も出現したという

港湾には工場の社長のものだという大型の真っ白いクルーザーが停泊していた
その白さには異質さを感じたし、魚をさばく職員の顔の生気の無さが対照的だった

さて、私はここでも同じ質問を

「2006年の日本漁船拿捕と射殺をどう考えているか、個人的な考えを聞かせて欲しい」

個人的なという言葉を入れたのは、用意された答えは聞きたくなかったからだ

しかし前回の交流会と同じ団員から横槍が入って気分が悪い
何をそんなに恐れているのだろうか

帰ってきた答えは用意された答えに、彼なり配慮を加えたものだったように思う

「ロシアの領土内で起こったことで、密猟者を取り締まるのは軍人の責務であるから仕方の無いことだ
私も遺体の引き取り現場には立ち会ったが、両国の人間はみな無言であった、色々な思いがあるのだと思う」

と言う内容だった

私は謝罪を求めているのではない
謝罪を求めるのは国の仕事だ

私たちは一市民である
両国の市民が喜びも悲しみも共有することこそ、平和的な問題解決に繋がると思っている

答えてくれた彼の個人的な思いを聴けなかったのは残念であったし、その後の司会者の対応も後味の悪いものだった

返還を目的とした運動を続けるなら、変わるべきは我々なのかもしれない

最後に最年少の団員が「若い世代は領土問題をどう思っているのか」と質問した

工場の社員が「私の子どもは日本人と結婚しハーフが生まれた、こんなことが続けば問題はなくなると思う」と答えた

質問と答えがズレてはいるが、暖かな雰囲気で対話集会は幕を閉じた

その後は水産工場を見学する
またあの団員が事務局に声を荒げている
もういい加減にしてほしい

それから夕食交流会

日本側の余興も披露され大いに盛り上がる(少々計画性が必要だとは思う)

地区長らに見送られながら、最後の上陸は終わった

船内では最後の夜ということで同室のメンバーで放談極まる
本当に楽しい夜だった

今日は国後島へ航行しながら眠る

25日 北方領土から長崎へ

国後島沖で最後の出域手続き
ハードな船旅も今日が最後かと思えば名残惜しい

船内で解団式が行われた

特異な体験を共にしたもの同士、名残惜しさで和やかなものになる・・・はずだったが、ある発言で後味の悪いものになった

彼なりに思いがあるのだろうが、あまりにも自分の面子にこだわり過ぎているのではないか
楽しい旅にもケチがついたような

無事に根室港に上陸
レンタカーを釧路まで飛ばす

途中の景色は北海道ならでは
広大は平原、果てしない直線道路、湿原の曲がりくねった川、エゾシカにも出会う
今度はバイクで走ってみたいものだ

釧路から羽田までは偶然通訳の方と臨席になった
101回目の訪問になるそうだが、今回のような後味の悪いケースは珍しいと言う
領土問題に集中して率直に話し合えることも多かったので残念がられていた
羽田から長崎へ乗り換えで無事にたどり着く

1日で北方領土から長崎まで移動できるインフラがある豊かな本土

北方領土は厳しい自然もあいまって、豊かな土地だとは感じれない
四島からの引揚者、二世三世を含めた調査によると、四島に移住したい、というのは少数派になっているそうだ
失礼な話だが、20年後には元島民の皆さんは鬼籍に入られていることだと思う
そうなると「生まれ故郷を取り戻したい」という返還世論は先細る

これから根室でも長崎でも下火になっている返還世論を支えるものは何か

水産資源や地下資源といった「国益」を訴える政治家だろうか
国益、という言葉を使えば偏狭なナショナリズムが連想される
確かにこの国全体が戦争に酔った時代があったのだ

そして竹島や尖閣諸島の話になると軽々しい発言も耳にすることがある

私は、日本人にはしなやかなナショナリズムが必要なのだと思う
それを担う世代を育てていかなければならないことだけは確信した

フォーマルな報告書は後日練り上げます

とにかく揺れる船には閉口したが、同室メンバーとは素晴らしい時間が共有できたし、唯一無二の体験ばかりの素晴らしい旅でした

色々とお世話を頂いた事務局の皆さんに感謝

やみくもに撮った四島スナップは コチラ

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