政治家になろうと思ったわけ

今般、私は「良き政治家に成る」という志をたてました。

「良き政治家」

漠然としたこの言葉に突き当たるまで、いろんな思いをめぐらせました。
私なりに考えたのですが、その言葉が意味するものは、

・私利私欲を捨て、世の為人の為に働く
・郷土の未来が少しでも明るくなるように働く
・目先の利益に走らず、着眼大局、着手小局をもってことにあたる
・信念をもつ

というようなことだと思っています。
それでは駄文長文ですが、ご一読いただければ幸いです。

~ 長崎ピースラリーと私 ~

戦後60年が過ぎ、終戦を総括する声が大きくなり、憲法改正や歴史認識に関する論議が盛んです。
また、右翼的な論調が大きいような気がします。

それに同調するつもりはありませんが、戦争の記憶、というものを取り扱っている以上、私はそれに背中を向けることは少々卑怯なのかもしれません。

戦争は絶対悪だとは思いますが、祖先と祖国の歩んだ道を否定する自虐史観は持ち合わせていません。
歴史認識が私の思想、イデオロギーの源になるわけですが、歴史認識ついては又の機会に。

私はモーターサイクルという趣味を持っています。

私はモーターサイクルでツーリングし、風に吹かれながら知らない土地を旅し、美しい景色を眺め、自然の中でキャンプすることが大好きです。

そして、私たちモーターサイクル愛好家(以下バイカーと称します)には、全国津々浦々よりツーリングを楽しみながら一所に集まり、集団でキャンプをするバイカー同士の集会「ミーティング」という文化があります。

私とその仲間たちは「長崎ピースラリー」というミーティングを開催しています。

長崎ピースラリーは、バイカーによる、平和を再認識する為のキャンプミーティング、というコンセプトを持っていました。

実際に戦時を体験され長崎で被爆された「語り部」を呼び、戦争の記憶を呼び覚まし、平和への祈りを捧げる、というところまでを参加者の皆さんに提供してきたのです。

そう、祈りを捧げるところまで、なのです。

それでは、祈りを捧げて、千羽鶴を奉納し、語り部に幾ばくかの寄付を行い
そして、私は次にどうすればいいのでしょうか。

私は、祈るだけでは他人任せではないか、思うようになりました。

「私たちの聖地は私たちの力で整地する」

あるバイク雑誌に載っていた洒落を効かせたこの詞に私は感銘し、2000年に長崎ピースラリーという行動を仲間たちと共に興しました。
紆余曲折はありましたが、バイカーによる平和への祈りを紡ぎ合わせる一助となればと思い、今まで続けてきたのです。

しかし、回を重ねる事に、ただ祈るだけでは駄目だと思うようになったのです。

~ 大村青年会議所と私 ~

同時に私は青年会議所(以下JC)というまちづくり団体に加入しています。
JCは私にとって大変良い学びの場でありました。

1949年、日本が戦後の荒廃から立ち上がらんとする中、
「新日本の再建は我々青年の仕事である」という志をもった28歳の青年が
東京に興したこの団体とその理念・運動は瞬く間に全国に広がり、私の郷土ここ大村でも1956年に創立、私は1996年にお誘いをいただき入会させていただきました。

当時はJCについての知識はまったく持ち合わせておらず色々と説明を受けましたが、「おおむら夏越まつり」の提唱団体であり、現在では主要な運営団体として活動をしている、ということを知り入会しました。

というのも、夏越まつりには本当に楽しい思い出ばかりがあり、毎年楽しませていただきました。その恩返しとでもいったらよいのかわかりませんが、そのお世話をする側に回るのはとてもやりがいのあることだ、と思ったのです。

入会してからは夏越まつりだけではなく、さまざまな活動に参加し、本当に良い勉強になりました。
また2005年には理事長職に立候補し信任を受け、大変に忙しく、充実した毎日を過ごさせていただきました。

理事長時代、一月の京都で開催された会議に出席した折には、衆議院議員、三重県知事を歴任された北川正泰先生の講演を拝聴し、心を揺さぶられるような肝銘を受けました。

当時は自衛隊が海外派遣され、郵政民営化の議論が進んでおり、政治というものは社会構造をダイレクトに変えていくものなのだな、と空恐ろしくさえ感じていました。

そんな中、北川先生の

「マニフェスト型の選挙と公開討論会が政治をイノベーションする」

「地方が変れば国が変る、国の未来は若い皆さんにかかっている」

という講話は私の心に深く響いたのです。

そしてその年の夏には国会が解散、総選挙が行われました。いわゆる郵政解散です。
そこで長崎三区の公開討論会を開催できたことは幸運でしたし、現在は北川先生を長とするローカル・マニフェスト推進ネットワークのメンバーとして活動、研修しています。

JCは対内、対外に向けてさまざまな事業や運動を展開します。

その活動を通して得た経験や人間関係は、長崎ピースラリーの開催についても大いに寄与しましたし、同世代のメンバーや先輩方の、考え方、行動力、人柄に触れることで、多くの刺激を受けました。

そして「明るい豊かな社会を築き上げよう」と結ばれるJCの綱領を実現する為には、他人がやってくれる、ではなく、その地域に生活している私たち自分自身が主体的に行うものなのだ、ということに気づかされました。

思えばJCを通して政治との接点を持ったのです。

しかし、JCは単年度制をとっています。
一年間という期限付きでさまざまな役職に就き、まちづくり活動を行うのです。
そして40歳定年制がある。

これがJCの良さでも有り、長い歴史を重ねることができた根幹である、とは思います。
ただ、同時に長期的で建設的なまちづくりに向いていないと思っています。
責任の区切りが一年単位であり、外向けの事業が一過性のものに成りがちであるからです。(例外もありますが役職については原則毎年入れ替わります)

JCは、気づき、新しい流れ、といった社会を刺激する、まちづくりに向いています。
しかし、社会のシステムづくりやインフラ整備といった、長期的なものには向いていない性格も持ち合わせているのです。

私の中で「JCの役割」がはっきりしはじめたと同時に、限界を感じた部分でもあります。

~ 老人介護という仕事 ~

私は老人介護に携わる者の一人です。

人の死にふれることが多い仕事柄、生について考えをめぐらすことがあります。
当たり前のことなのですが、人間の死亡率は100%、命には限りがあります。

私はあと何年生きられるのだろうか
私が生まれてきた意味はなんなのか
私はどういう人生を歩めばよいのだろうか

かけがえの無い命です、死んでしまえばそれっきり、ならば一つしかない命をどのように使えばよいのか?
私の使命とはなんなのか?

そんな疑問がわいてきます。

そしてある使命を思いつきました。
それは素晴らしい思いつきでした。

そして、とてもやりがいのある仕事だと思います

~私にとって政治とは~

政治という単語には、

主権者(国民)が、領土・人民を治めること。まつりごと。
ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、
社会の意思決定を行い、これを実現する作用

という意味があります。

そして私なりの解釈ですが、政治は社会の経営であり、強制力をもったまちづくり、であると考えています。

会社で考えると「金銭的価値を基準とした利益」を生み出す為にさまざまな手法を実行することが経営ですが、政治とは民の利益「公益」を生み出す為の手法を実行することであり、必ずしも金銭的価値を基準としない所にあるのではないかと思います。

それでは「公益」とは何なのか。

それは民の平和であり、安全であり、繁栄であり、誇りであり、
必ずしも金銭的価値という尺度では測れない「幸せ」といったものであるでしょう。

それでは「幸せ」とは何なのか。

社会は、恐ろしいほど複雑であり、多種多様な価値観があります。
十人十色「幸せ」の価値基準などを定義しようとすることはナンセンスです。

しかし、それを自分の周りに視点を移して考えてみると、より具体的になってきます。
それは「明るい豊かな社会を築きあげよう」という広義から、自分の周りの人間が幸せだな、と感じるまちを創りたい、という狭義に絞り込んでいけば、そこに政治の役割を見出すことができるのではないでしょうか。

政治は社会の経営であり公益を生み出す行為です。そして強制力を伴います。

強制といえばなにやらものものしい感がありますが、現代では生活のとてもベーシックな部分、目立たない部分に関わることが多いためにその役割を感じ取る機会は少ないでしょう。

しかし数あるまちづくり活動の中でも、政治だけが社会のルールを決めていくのです。
日本は法治国家ですから、それゆえ政治だけが強制力をもったまちづくりとなります。

ただ、政治が変ったからといっていきなり明るい未来が開けるわけでもありません

普段意識しない生活の基本的な部分に関わる問題を扱うことが多いからです。
ただそれだけに社会的弱者には政治の変換はダイレクトに影響してきますし、国同士が摩擦を起こせば、外交の最終形態である戦争をも実行する力を政治がもっているのだということも忘れてはなりません。

それが政治が強制力を持っている、という事です。

そしてその強制力をもつまちづくりに携わる政治家が、私たち市民を信頼しているでしょうか?

同時に、私たち市民は政治家を信頼しているでしょうか?

私は現状に疑問を感じます。
それは投票率を見てもいえることですが、双方が協調した関係にあるとは思えない。

そして、私たちは言います。

「だれがやってもおなじこと」

そんな状態で私たちの未来は明るいものになるのでしょうか?

~政治家になるという志~

私は考えました。

モーターサイクルに乗りながら考えました。
JC活動の中で考えました。
人々の生死にふれて考えました。

家族や仲間を守る為には、聖地を整地する為には、
誇りある郷土を創る為には、国の平和を維持する為には、
この国に生まれてよかったと思う為には、世の中をもっと良くする為には、
世のため人の為に働く為には、この命が尽きるまでに、私にできることは・・・

私がこの世に生まれた意味は?

というようなことを考えました

私たちの未来を人任せにせず、自らが主体的に関わるためにはどうすれば良いのかと考え、あることを思いつきました

それが「良き政治家」を志し、それを自らの使命とする、ということです。

私のいつ終わるか分からない人生を賭けることができるやりがいのある仕事、それが私にとっては政治という仕事ではないかと思いました。

そして、それが私が生まれた意味なのかもしれないと思いました。

みんなの「幸せ」づくりに少しでも役に立ちたい。
私たちの未来は人任せにするのではなく、私たちの手で作りたい。
自分でも行動を起こさなければ何も変わらない。

この様な思いがめぐりめぐって「良き政治家に成る」という志をたてるにいたりました。

その志を全うする為には、皆さんのご協力が必要不可欠です。

よりよい社会と、次世代に胸を張って託せる社会づくりを目指して、
勇気と情熱を持って、笑顔で行動を興します。

どうか皆さんのご支援とご協力をいただけますよう、心よりお願い申し上げます。

北村タカトシ公式SNS

SNSでも日々の活動をお伝えします

後援会入会のお願い

皆様の支えが必要です

北村タカトシ公式SNS

SNSでも日々の活動をお伝えします

後援会入会のお願い

皆様の支えが必要です