メンバーの何名かは同じ気持ちだったらしい。
半分(以上?)勢いで「ミーティングやるぞ!」と言い出した私に何名かは賛同してくれた。
この提案をクラブの意志とするために、クラブミーティングに諮り、
メンバーの承諾と協力を得なければならない。
一人で出来ることには限界もあるし、クラブでやることが大切だと思った。
このミーティング主催を実現出来ればクラブの絆がより固いものになる、となんとなく思っていた。
まずは、ミーティングの主旨を練り上げなければならない。
何を目的にミーティングを主催するのか?事を起こすには目的がいる。
キーボードに向い、タバコをくゆらせながら、自分に問いかけ、思いをめぐらす夜がしばらく続く。
楽しもう!これだって立派な主旨だ。
苦い思いをした憂さ晴らし?
一発花火を打ち上げて終わり?
それとも続ける?
“ミーティングやるぞ!“という決意そのものが始まりだった。
何故?それは前述したように、そこが”私達の居場所“ではなかったからだ。
あの、自然に囲まれた、穏やかな雰囲気が流れる“空間”を私は創り出したいのだ。
長崎でやるのであれば、長崎でしかやれないミーティングにしたい。
遠方からやってくるバイカーに“長崎に走る意味”を感じて欲しい。
我々がこの世に生まれ、育ち、鉄の馬に跨り、道を走り、学び、飲み、食べ、
眠り、遊び、出会い、別れ、友を持ち、恋に落ち、子を持ち、育て、老い、朽ち果て、死を向かえる。
今の生活の全ては、平和な大いなる日常の元に成り立っている。
被爆地“長崎・核と戦争の恐ろしさ”を通して、ともすれば忘れがちな
平和な日常の素晴らしさを1日ぐらい考えてみる日があっても良いのではないか?
以上のようなテーマを持ったミーティング「長崎ピースラリー」開催の提案は、
クラブミーティングで賛同を得ることができ、クラブの総意となった。
“長崎・戦争・原子爆弾”というものは非常にデリケートなテーマである。
私達は戦争を知らないし、物があふれる飽食の時代に育った。
実際に戦争を体験された方々の苦しみなど到底分るはずも無い。
そんなことを語れる資格が私にあるのだろうか?
そのようなテーマをイベントに持ちこんでいいものだろうか?
心が揺ぎ、考えこんでしまうことがたびたびあった。
そんなとき、ある言葉に出会う。
「我々の聖地は我々の手で整地する」
ある雑誌に掲載されていた洒落が効いているこの言葉は、私に響き渡り、
「長崎ピースラリー」を開催する確固たる意志を持つことが出来た。
知らないものは仕方が無い。
しかし、何かをはじめなければ何も生まれない。
大切なのは“これからどうなるか”ではなく”これからどうするか”
ということだ。
そして我々流の解釈を加える。
SAVE MY STYLE. SAVE MY WORLD. FOREVER TWO WHEELS!
今日の平和が危ういバランスの上で成り立っていることは分っている。
「武器を捨てよ!」「原発を止めよ!」などと叫ぶつもりは無い。
そこからは個人の判断で行えばいい。
私は、アクセルをひねることが出来る限り、モーターサイクルに乗りつづけていたいと思う。
この平和な日常が、美しい自然が、永遠のものになればいい。ただそう想う。
ミーティングの趣旨が固まり、幹ができた。 その幹にそって枝葉を繁らせてやらなければならない。
私は考え付く限りのいろんなイベント案を盛り込んで企画書を作成してみた。
語り部の講和・カスタムコンテスト・アームレスリング・モーターサイクルオリンピック・ライブ・パレードetc…。
最初からできるとは思っていなかった。
消去法で無駄なもの・無理なものを話し合いながら削っていけばいい。
企画書をタイトで現実的なものにするためにメンバーと話し合いを重ねた。
メンバーの家や仕事場、ファーストフード店、居酒屋、道端…。
いろんな話をするうちに企画書は膨らんだり、シェイプアップされたりしていく。
私は「語り部の講和」は絶対に外せないとして、加えてライブとパレードにこだわっていた。
ライブは私自身が好きなこともあり、アコースティック系の静かなライブを森の中で聴きながら
平和な日常についてちょっと考えてみる…なんてロマンチックなんだ!!!最高w
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ハーレーダビッドソンマガジン・バイブズ
民風のコーナーでひっそりと連載中です