第59回通常総会 理事長挨拶(報告)

面白きこともなき世を面白く すみなすものは心なりけり

時は過ぎるのは早いもので大村JCの46年目の歴史が幕を引こうとしています。同時に、高杉晋作の辞世の句に込められたスピリットと共に始まった、私の人生において最初で最後の大いなる挑戦の一年も幕を閉じます。本年は
百花繚乱・異体同心 熱く、楽しく、まちづくり!
とのスローガンを掲げ、なによりも「率先して行動すること」を念頭に置きながら精力的に活動をしてまいりました。本当に多くの勉強をさせて頂きながら、皆さんの暖かいご理解とご協力のお陰でなんとか職責を全う出来たように思います。文章では意を尽くせませんが、心から感謝しております。本当にありがとうございました。

●目指せ100名! ~会員拡大交流委員会へ~ 
とんでもない目標を掲げた私に良く付き合ってくれました。
田代委員長においては、予定者段階から運営方針の策定や委員会の立上げ、そして本格的な拡大活動をスタートさせてさあこれから!といった矢先に、社業の事情で活動制限を余儀なくされ悔しい思いでいっぱいだろうと察します。
しかしまだ君は若い、この悔しさをバネにして、社業にJCに邁進して頂きたいと思います。
そして、大塚副委員長は委員長不在、という逆境にも屈することなく委員会をまとめあげ、拡大幹事会を機能させ、諸事業を完遂、素晴しい結果を残していただけました。
また長崎ブロック協議会においても大活躍され、大村JCの存在感をしっかりとアピールして頂いたことに感謝いたします。
松崎副理事長においては、紆余曲折ありながらもしっかりと委員会の後ろ盾として、調整役として活躍していただき大変感謝しております。
この委員会が吹き込ませた新しい風は、今後の大村JCを輝かせる宝になると信じています。本当にありがとうございました。

●熱く楽しいまちづくり ~ひとまちづくり委員会へ~
初理事とは思えない行動力とリーダーシップを発揮して頂いた赤水委員長、そしてそれを支えてくれたメンバー、本当に良くやってくれました。
議案差戻しという事態にもめげずに計画した諸事業を完遂して頂いたことに改めて感謝します。
本年は組織のスリム化もあり、この委員会がまちづくり団体としてのJCの顔を作ってくれました。
ボトムアップで事業をクリエイトして欲しい、との思いから何をやってほしいか明確にしませんでしたが、“生みの苦しみ”にもめげずに、委員会を率いて熱く楽しいまちづくりを展開して頂きました。
大塚副理事長においては、その人柄と優しさで委員会を暖かく包み込んで頂きました。
委員会にとっては彼の精神的な支えがあってこその活動ではなかったでしょうか。
心から感謝しております。また、メンバーの皆さんにおいては事業数が多く忙しい委員会だったと思いますが、よく委員長を支えて頂きました。本当にありがとうございました。

●市民とのインターフェイス ~広報渉外委員会へ~
毎月の例会では楽しい内報誌、そのための取材活動、そして大村JCと市民とのインターフェイスをになう外報誌の発行、10人もの卒業アルバム作成、と作業量がとても多い委員会であり、本当にご苦労をお掛けしました。
そして久保委員長ご結婚本当におめでとう!心から祝福します!
これで前例3件、大村JCでは女性メンバーが理事に就任すると慶事が起こる、というジンクスが確立したのではないでしょうか。公私共に本当にいそがしい一年だったと思いますが、全国レベルの陸上競技で培った根性を発揮されながらみごとに委員長を務め上げて頂きました。初理事ながらよくやっていただいたと感謝しております。
小又副理事長においては、委員会の担当そして、活き活きおおむら推進会議の事務局と二束の草鞋をこなして頂き大変お疲れ様でした。活き活きについては団体参画から個人参画へと参画形態を変更させて頂きましたが、まだまだ議論していく必要があろうかと思います。
とにかくメンバーの皆さんがシンデレラ委員長を良く支えてくれました。本当にありがとうございました。

●“集う”その意義 ~総務例会委員会へ~
義務であり権利である例会出席、理事会ではとくに出席率の数字に拘った話をし、緒方委員長には相当な気苦労を掛けてしまい申し訳なかったと思います。
初理事ということで暗中模索の中から、自分のペースでしっかり一年を歩まれ“JC”をゆっくりと咀嚼されながら企画例会の開催に繋げて頂きました。
縁の下の力持ち、地味な仕事が多い委員会でしたが、委員長をはじめメンバーの皆さんに良くがんばっていただきました。また委員会単独での家族交流会を行って頂き、JCの魅力を家族の皆さんにも感じて頂いたことにも感謝しております。
当初は担当副理事長となるような事務局長を置こうと考えていたのですが、組織のスリム化、という私の考えに合わせ佐藤専務が自ら担当を申し出てくれました。
専務理事という本当に忙しいの職責ながらも澤田会計とタッグを組みながらしっかりと努めていただきました。本当にありがとうございました。

●100年続くまつりのために! ~100年のまつり準備室へ~
JC活動に更なるリアリティが必要、との思いから“数字”に拘った年であり、おおむら夏越まつりについても「100年後の未来を見据えた展開を」とのオーダーに少数配属ながらも精力的な活動を行って頂きました。
目立たない点かもしれませんが、本年確実にまつりを進歩させYEGを巻き込み、100年のまつりに向けての安定感のある活動を展開して頂きました。
松浦事務局長においては本年度の委員長の中でただ一人の理事経験者ということもあり、理事会でのご意見番としても活躍して頂きました。また、おおむら秋まつりにおいては本年で最後となるであろう「樽みこし」をこの人数で切り盛りされ、まつり準備室のポテンシャルの高さを感じずにはいられませんでした。
鶴田副理事長においては、おおむら夏越まつりにおいて松浦事務局長の精神的な後ろ盾をしっかりと全うして頂き、樽みこしでは前面に出て汗をかいて頂きました。その他にも鹿島JC佐賀JCとのサッカー交流、鹿島踊り参加にも音頭をとって頂き大変感謝しております。
怒り憤り泣き笑った、とても熱い夏でしたね、本当にありがとうございました。

●感じよう! ~九州地区協議会・長崎ブロック協議会 出向者へ~
本年は地区協議会に時委員長を輩出し、地区との関係がこれまで以上に深まり、視野が広がった年でありました。
時出向理事においては九州地区の委員長という大役をしっかりと全うされ、長崎ブロックの顔として大活躍していただきました。
国際規模の事業を含めた3つもの事業を開催され、本年の九州地区において一番勢いのある委員会であったように思います。その行動力に心から敬服します。
長崎ブロック協議会においても多数の出向者を輩出、生野出向理事においては、副会長として二つの委員会を担当していただきました。
両極端な活動を見せた委員会担当で培ったバランス感覚はしっかりと次年度に活かして頂けるものと思います。
また、会員大会運営委員会に出向して頂いた佐藤君、全国を駆け回る社業の傍らよく活動して頂きました。とくにブロック大会献血事業でのハプニングは思い出深いものになりましたね。
そして大村のトリカブト山で開催された青少年育成事業では秋山君、砺山君の活躍が群を抜いて輝いていたように思います。私自身も本当に楽しめた事業でした。
伊丹JCや鹿島JCとの熱く楽しい交流も、良い刺激を頂き有意義なものになり、出向者の皆さんには大村JCの顔として活躍して頂きました、本当に感謝しております。
ところ変われば品変わる、大海に飛び出して得た経験や刺激、そしてJCの友情は今後も私たちの活動に大いに寄与していくことだろうと思います。

本年は事務局の主催にてセミナーや公開討論会等を開催させて頂きました。
本来ならば委員会より上程された事業議案を理事会の中で協議しながら行っていくのがセオリーですが、ともすればトップダウン的なこの手法には疑問が残るところでもあります。
しかし「社会情勢に敏感に反応するフレキシブルな姿勢」として捉え、ご理解とご協力を頂いた皆様の友情に感謝をしていますし、大村JCの良さも再認識しました。また「活動には精度が必要」との考えから、具体的なマニフェストを掲げ、数値的な目標を掲げさせていただきました。それはともすれば残酷なことかもしれませんが、明確な目的に向かって取り組むという姿勢作りに寄与できたのではないかと思います。

私は昨年の信任投票の際、所信の中に三つのマニフェストを掲げ皆様の信任を頂き、理事長という職責を与えていただきました。その検証もしてみたいと思います。

1、組織のスリム化・1委員長に1副理事長制
副理事長と委員長を直結させ効率的で一元的な活動を行う為に、また少ない委員会数でも配属メンバー数を増やせば活気ある委員会運営に繋がり全体の活動に資すると考えたためのスリム化でした。
また新人理事に手厚いフォロー体制を引くことで人材の育成という狙いもありました。本年は組織のみならず、資料の事前配信、会議開催時間の繰上げや禁煙化、組織のスリム化については実現することが出来ました。
しかし狙った効果には到達できたのか疑問でもあります。スリム化については任意団体の性格上、良い面や悪い面が表裏一体であることを痛感しましたし、組織のあり方については今後も議論を重ねるべきところであると思います。

2、まつりと会員拡大に関する委員会を設置
まつりに関しては大村JC全体でまつりに関わるという観点から委員会から準備室を設置することに変更いたしました。
結果的には方向転換して良かったと思いますし、全体で夏越まつりに関わるというスタンスは崩すべきでない、と考えます。幸いなことに次年度も同じスタンスでまつりに望むことになり、私もその一翼を担わせていただくことになりました。
単年度制のJCにおいて同じスタンスを続ける意義をしっかりと見出し、少しでも祭りを進化させたいという思いを新たにしております。
会員拡大に関する委員会は設置することが出来ました。それにより昨年産声を上げた拡大幹事会がより機能するようになり、素晴しい成果を残してくれました。

3、活き活きおおむら推進会議の参画形態
本年、大村JCは団体参画より個人参画に形態を変更しました。
私は2001年に担当委員長を拝命し、年間を通した検証事業「活き活きな時間」を行いました。その報告として発表した「活き活きを自主自立させるべき」という参画指針に一区切りがついたと思います。
参画形態の変更に関してはもう少し議論を深めるべきだったと反省はしておりますが、活き活きに深く携わった一人としての拘りに決着をつけたように感じています。しかし形態を変更した効果はまだ未知数ですし、「自主自立」という本来の目的にはまだまだ険しい道のりがあると思います。

以上のマニフェスト達成率についての採点はメンバーの皆様方にお任せすることになろうかと思います。
そしてその効果や是非は歴史が判断することになるのでしょうか。また「個人的な考え」として理事長はLOMにおける役割の一つであり今後も役職にとらわれず活動していきたい、と述べさせていただきました。幸いなことに次年度はまつりに関する役割を頂きました、今後とも実践していきたいと思います。

さて、私は昨年の6月に立候補をさせて頂き、信任投票において幸いにも皆様の信託を得ることができ、理事長予定者としての活動を始めました。

まずは予定者として「組閣」を行うのですが、私の力不足のせいもあり当初はとても難航しました。
晴天が続く盛夏、照りつける太陽の輝きとは裏腹に不安な毎日を過ごしていました。
そんな暗中模索する私を救い上げてくれたのが佐藤専務です。
専務のお願いに職場にお邪魔してから数日後、自ら弊社に足を運んで頂き、ご快諾をいただきました。
その心意気には感謝しても感謝しきれるものではありません。本当にありがとうございました。

それから堰を切ったように人事は次々と確定し無事に組閣を終えることが出来ました。
公式訪問に無理やり参加するなど私の我侭にも辛抱強く付き合ってくれ、懐具合にまでも気遣いを頂きながら微細にわたり配慮をして頂きました。時にはイデオロギーの違いで口論したこともありましたが、今では勝手に「良い思い出」としております。経験も年齢も下である私を、私心を滅しながら誠心誠意支えて頂いたことは生涯忘れることが出来ません。

そして誰が言ったか「仏の澤田」その暖かさで、ともすれば尖り気味の佐藤専務と私を丸く優しく包み込んでくれました。その安心感と安定感に助けられたように思います。
そして吉里事務局員、本年も私のスケジュール管理をはじめ全メンバーのサポートをしっかりと務め上げていただきました。また本年事務局のセキュリティレベルの向上を図ることが出来たのは吉里さんのお陰です。本当にありがとうございました。

さて、皆さんに問いたい。貴方は何故Jayceeであるのですか?

貴方が自己の研鑽をJCに求めているならば、私は自信を持って皆さんにお話できることがあります。
是非理事を、理事長を経験して欲しいと思います。そこには無数のハードルがあるかもしれません、様々なストレスがかかることも容易に想像できます。
しかし、だからこそ、やる意味があるのです。ここに書ききれないほどに得るものが必ずあります。そして生涯忘れられない記憶になることを保証します。それが大村のまちづくりに繋がり、郷土を発展させ、私たちを活かすことになりうるのです。

皆さんに問いたい。私は皆さんを裏切らなかったのでしょうか?

昨年の信任投票時、理事長立候補所信の中で大村JCは疲弊し、活力を失っているのではないか、と述べました。
そして、そんな現状に満足できないならば、それを自分以外の何かのせいにせず、自ら率先して行動し、訴え、主体的に活動するべきだ、とも述べ、結びに「皆様の思いを裏切ることのないように一所懸命に頑張ります」と添えました。
その約束は守られたのでしょうか?自分なりに一所懸命に活動をしてきたつもりです。
率先して行動し、そしてそれを伝える為の手段としてブログを使い、大村JCの元気を発信し、皆さんに語りかけてきました。それは皆さんに伝わったのでしょうか。その審判も皆さんにお任せすることになろうと思います。

皆さんに問いたい。貴方の生きる意味はなんですか?

人はすべからく自分が望もうと望むまいとに関わらず命を与えられ、産声をあげた時から死に向かって歩き始めます。スペアのない命には必ず「死」という限りがあり、それは何時やってくるのか分かりません。
万物は流転し、私たちの周りは刻一刻と変化します。青年会議所も例外では無いでしょう。そんな世界で貴方はどんなライフスタイルを選ぶのですか?どんな使命を持っていますか?何故生きているのですか?貴方は何者なのですか?

私ならばこう答えます。

与えられた命だがこの世にたった一つだけのものだ。
そして命という炎があるならばそれを燃やすのは自分でしかない。
私はその炎を美しく輝かせ命を燃やしつくしたい。
私は幸せになる為に生きている。
私の幸せとは人々の笑顔や美しいものを見ることだ。
Jayceeというライフスタイルを選び、社会に奉仕する使命を持ち、
人々の笑顔や美しいものを見るために生きている私は、郷土を愛する一人の青年である。

百人百様の答えがあると思います。この世界を生きていくのは自分以外の何者でもありません。全ては自分次第なのです。是非皆さんもその答えを探して見て下さい。きっと色とりどりの花々が人生において咲き乱れると思います。

1949年「新日本の再建は我々青年の仕事である」という志を掲げた28歳の青年がいました。
終戦後の荒廃したこの国にJCを興された我々の祖ともいえる青年、それが三輪善雄先輩です。そして、その志の源は老成者への失望と反感だったといいます。

その青年が残した言葉の中には「JUNIORでなければできない使命を発見し、JUNIORでしかできない方法で実践する。JCは老人達のやるようなことをマネするような組織ではいけない」というものがあります。
まさしくJC創立の動機は、老成者に対する若者の反逆であり、反発心であり、負けん気です。その気概こそがJCのDNAです。
そのDNAから生まれるべきもの、それは「自主自立」です。他に頼らず、己の信念を持ち、自らの足で立とうとする気概です。
我々は「若さ」を誇りとし、郷土を愛し、自らの手で地域や国を変えることが出来ることを信じ、考え、己を律しながら実践に移さなければなりません。そして、幸いなことに私たちは孤独ではなく、支えあう仲間がいます。それは人生を生きる上でも大きな糧となるものです。

一度しかない人生だから、前を向いて生きていたい。
与えられた命だから、自分の使命を探してみたい。
人生は喜びと悲しみと、出会いと別れ、そして驚きに満ちみちています
その人生という名の航海を、自ら舵を取り、仲間と共に楽しく旅しようではありませんか。
この一年、暖かさと厳しさと優しさと勇気を頂くことができました。
また明日から新しいチャレンジに向けてこの命を燃やしていこうと思います。
一年間ありがとうございました!

Jayceeよ!怒り憤る若さと青さを己の誇りとし、志という名の拳を上げよう!

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